「コケコッコー」という鶏たちの声にたたき起こされたのがおそらく6時くらいで、そこから寝ては起きてを繰り返して、最終的に起床したのは8時前だった。6時間も寝れていない計算になるが、前日飛行機の中で寝ておいたのでそれほど睡眠不足だという感じはない。

ただ、まだ朝の8時前だというのに外に出てみると熱気が支配していた。3月はhot, hotter, hottestの分類に当てはめるとまだhotとhotterの間に当たる時期らしいのだが、それでも朝からこんなに暑いのではさぞ生きていくのに大変だろう、とインド人を気の毒に思いすらした。

 とりあえずインドに着いて、無事に寝ることができて良かった。ここから安心して旅行を始めることができるのだ。しかし、いきなり問題発生。まず朝食を食べようとしてキッチンらしきものがある2階に行ったのだが、フロントにもキッチンにも人が誰もいない。おいおい、飢え死にさせる気かよと思って外を探せど、屋上まで登れどシーツがはためいているだけで人の気配が全くなかった。つい、「すみませーん、誰かいますか?」と聞いてしまいそうになるこの状況だったが、とりあえず焦っても仕方がないのでロビーのソファーでインターネットをしながら待つことにした(ロビーと言ってもただの居間のような感じだが)

 しかし、20分以上待っても誰も来ないので、仕方なく何か食べようと思ってキッチンに入る。するとそこにはインスタントラーメンの袋があったので、ひょっとしたらこれは自分で作れということなのか・・・と思ってコンロなどをいじっていると、いきなり後ろから物音がして昨日案内してくれたお兄さんが入って来た。おいおい、これではまるで悪いことしているところを偶然先生に見つかってしまった生徒みたいではないか、と思いつつもGood morning!と挨拶したところ、彼は僕の朝食を届けに来てくれたようで、朝食開始となった。

 朝食とはいっても、メニューが1品しかない超シンプルなものだ。フレンチトーストのようなものに卵が巻き付けてある今まで見たことがない料理で名前を言っていたが聞き取ることができなかった。その後も、コヒーかティーのどちらを飲むのか聞き取ることや、砂糖を入れるか入れないか答えることにも4回ずつくらい聞き返さなければ理解することができないほど、彼の英語は訛りがあった。少なくともインド大使館勤務などにならなかったことを喜ぶべきなのかもしれない。砂糖を入れて、と頼んで出てきたコーヒーは、今まで飲んだものの中でおそらく3本の指に入るくらい甘かった。インド人はめちゃくちゃ甘いのか、逆に辛いの、つまり両極端を好むのかもしれない。

 食事を終えてしばらく部屋で旅行記などを書きながらゆっくりした後はチェンナイの中心部へと外出することにした。ここから市内へ向かうためには郊外電車と呼ばれている鉄道を利用する。最寄りの駅までは歩いて15分程度ということなので散歩がてら歩いて行ってみることにした。しかし、案の定ものすごく暑くて汗がしたたり落ちる。宿がある前の道は「ザ庶民ロード」といった趣であり、道は貧相にしか舗装されておらずスクーターやオートリクシャなどが砂煙を上げてクラクションを鳴らしながら突進してくるので一瞬たりとも気が抜けない。

 しばらく行くとなんと数頭の牛が家の前の道で飼われているところがあった。日本人の目線からすると珍しく、そして不衛生極まりないのだろうが、インド人は別に平然と何事もないかのように牛たちをスルーしていく。以前訪れた北インドの街でもこうして普通に牛が飼われていたので、インドでは数頭の牛を所有することは自然なことなのかもしれない。それにしても汚い!建物は植民地時代の面影を残すヨーロッパ調のものも多くて綺麗で、木々は南国のそれで黄色やピンクの色も見られて美しいのだが、それらのプラスを全てマイナスにしているのが道の両側に積み重なっているゴミである。おそらく国や市町村がしっかりとゴミ収集の制度を整えていないためか、ゴミはそこらじゅうに堆積して悪臭を放っている。おそらく途上国に不慣れな人がいきなりこんな所へ来たら、回れ右をしてホテルへと引き返していることだろう。それほど、南インドと日本はかけ離れている。

 しばらくすると別の道に出るのだが、少し幅が広い道なだけあって交通量が多い。道と道がぶつかるところにもちろん信号なんてないので、それこそ個人の感覚で曲がることになる。油断して渡ろうとするといきなり曲がって来たバイクにぶつかりそうになるので、常に道路を歩くときは神経をすり減らしながら歩かねばならない。散歩を楽しむなんて考えていた自分は完全に甘かったことになる。

 こんな調子で駅に行くにつれてどんどん交通量は増えて、道幅も大きくなる。ただ、道幅が小さくとも大きくともそれが汚いことには変わりなく、例外なくゴミが堆積している場所がある。夏に南米を旅行したが、このことを思えば南米なんてすごい清潔だった。少なくとも旅行記にゴミの問題について延々と書いた記憶は残っていない。

だいたい20分ほど歩いてやっと駅に到着することができた。駅の周りは日本ならば、コンビニやカフェ、そしてスーパーなどがあり、一番発展しているのが普通だが、僕が電車にのったNambalamという名前の駅周辺には野菜を売る露店が多く出ており、それこそトマトを1キロあたり10ルピー(17円)で売るなどいかにも低所得者向けの店が密集していたのだった。

 さあ、いよいよ電車に乗るぞと思って駅に入ってプラットホームにおりて気付いたことがある。この駅、チケット売り場がない。普通駅の改札に入るときなどにチケットをチェックされそうだが、そういったゲートは一切なく、そのままホームに降りることができてしまう。ホームで待っていると列車が到着したのだが、それが衝撃的だった。なんと、多くの人が詰まっておりみなドアがあるべき場所から身を乗り出して乗っているのだ。つまり実際にはドアは存在しておらず、行ってみれば常にドアが開いている状態で電車は走っており、発車してから慌てて飛び乗る人もいる始末である。ただ、これに乗らないと市内へは出ることができないので恐る恐る乗ってみると意外にも中は空いていた。おそらくドア部から身を乗り出している人は中が暑く、風を感じたくてそうやってやっているのだろうと思うことにした。

 僕もそんな彼らを真似て列車から身を乗り出して南インドの風を感じてみる。すると、今までの暑さが嘘のように吹き飛んで、受ける風が心地よい。この列車は人々が住んでいる居住区とチェンナイ中心部を結んでいるので、人々の生活エリアをスレスレに駆け抜けていく。ここでようやく学生時代に行ったインドの風景が頭の中にフラッシュバックしてくる。女性が来ている色とりどりのサリー、同じ塗装のオートリクシャ、そして道端でのほほんとしている牛。インドは変わっていなかった。そんな景色が、車窓から後ろへ、後ろへと飛び去って行く。気付くと次の駅のプラットフォームが現れて、また同じように多くのインド人が車内へと押し寄せてくるのだった。
 この非常に良心的な公共交通機関に乗ること20分、列車は目的地であるチェンナイ・エニグモ駅へと到着した。ここは観光の中心であり、近くに銀行や両替所、そしてレストランが多く並んでいるとガイドブックには書かれている。これがもし、北インドならば駅を出てすぐにWhere do you want to go?などとタクシーやオートリクシャのドライバーたちが押し寄せてくるところだが、南インドではそういったことはなく、ドライバーたちはいることはいるものの、のんびりとこちらのことを眺めていた。全体的に押しつけがましいところがなく、人が優しいというのが南インドの印象だ。

 ただ、両替商に至ってはその限りではないようだ。駅前の大きな道を横切ると”Money exchange? We give you very good price!”と言いながら男がニコニコして近づいてきたのだ。元々ここに来た理由のひとつに日本円をインドルピーに両替することがあったので、彼にレートを聞いてみた。すると、1ルピー=1.7円ほどだった。これはお得!昨日の空港の両替など1ルピー=2円以上していたことを考えると雲泥の差だった。ただ、ここですぐに飛びつくわけにはいかず隣にある両替所を確認したところ、レートはそれよりも若干悪かったので、その両替所で3万3千円分ルピーに両替した。これが今回の旅行の全予算だ。というか、思ったのはインドならば偽札でも通じるのではないかということだ。両替商のおじさんは適当にしか確認していなかったし、インドの紙幣は擦り切れているものも多い。もしこちらが、若干柄の怪しい5千円札を渡したところですんなり受け取ってくれるかもしれない。

 仕事を終えると、ちょっと遠出してみることにした。ガイドブックにはいくつかチェンナイの見どころが載っていたが、この忙しい街で、しかもインド初日にあわただしく動き回ったらそれだけで疲れてしまう。あくまでもこのチェンナイに滞在する目的はインドの気候や文化への順応ということを忘れてはいけない。ひとつ気のなったのは、Fort Georgeと呼ばれる場所で植民地時代にイギリス政府の総督府が置かれており、その名の通り要塞化されていたところだ。その当時の資料などがここに保管されているということだったので行ってみることにした。

 そこへ行くにはオートリクシャを使った。周辺で聞いてみると、最初のドライバーは70ルピーと言い、次のドライバーは100ルピー、そして3人目は120ルピーと言った。偶然だとは思うが、最初が一番安いという結果になったので、4人目にはこちらから提示して70で行ってくれと頼んだところ、それは無理だが80ならいいぜと言ったので80ルピー(156円)で行ってもらうことにした。頼んでもいないのに、運転手のおじさんは、「あれはガバメントホスピタルだぜ、リッチピーポルが入院してるんだ」とか「ここをまっすぐ行くとマリーナベイだから君も一度は行ったほうがいい」などとこれもまた訛った英語で案内をしてくれた。だいたい15分くらいのドライブの後、フォートジョージに到着した。

 ここは、いかにも外国人観光客向けの場所だが、そもそもチェンナイにはそれほど外国人観光客がいない。まだ、こちらに来てから一人の日本人も見ていないことを考えると、ここは明らかに観光で行くような場所ではないらしい。ここでも物珍しそうに見られてどこの国から来ているのかと聞かれた。入場料は100ルピー(170円)で、中には当時のイギリス人総督達が着ていた服、砦の成り立ち、使っていた食器や、絵画の類が展示されていた。当時の総督達が着ていた服は、僕たちが中学校の時に来ていた制服に似ていた。ボタンがかなり上のほうまであって、ホックがついているあの苦しいやつだ。それをここインドで欧米人が着ていたことを想像すると可哀想になってくる。何故なら非常に暑いから。いくら見栄えが良いとは言っても、あれでは確実に蒸さるし、汗が滝のように流れ出るだろう。実はインドに来ていたイギリス人は、汗によってできるあせもで悩んでいたというオチがあるのかもしれない。もうちょっと、なんとかならんかったのかねえ、少なくとも半袖にするとか。

 博物館はもうほぼ独り占め状態だった。何故ならもともとインド人はほとんどこんなところに来ないし、外国人環境客の数もとても少ないからだ。去年、タイに観光に行ったときは大学生の春休みと重なったこともあり、多くの日本人大学生にこういった観光の場所で会ったが、チェンナイにそういった日本人がいるところは全くもって想像することができない。やはりインドというと、強者だけが行く国というイメージが強いし、お腹を壊すという噂がささやかれているからみんな敬遠するのだろう。

 2階へ上がると巨大なスペースにいくつものこれまた巨大な絵画がかけられていた。それがのほとんどが当時のイギリスの総督やら王様である。最初の総督は大学院時代の指導教授にそっくりで笑ってしまったが、彼はインドやスリランカの総督を20年以上も務めたと書かれている。20年も海外にいるとは一体どんな気持ちになるのだろか。もちろん家族や友人も一緒にいたからものすごい孤独を感じることはなかったにしろ、国に帰りたい、とずっと思っていたのではないだろうか。ただ、少なくともそれらの絵画からはホームシックに悩む姿ではなく、堂々と統治の頂点に君臨する誇りしか見て取れなかった。
 
 博物館を出ると時刻も13時をまわっており、食事をすることにした。インドに来て初めての本格的な食事をすることになる。どこで食べようかなあとはずっと迷っていたが、とりあえず初めだし、わりとしっかりとした店で食べることにして先ほどのエニグモ駅へと戻った。駅前にはいくつかのレストランがあり、その中でFamily Vegと書かれた店に入った。

簡単にインドの食事情を説明すると、レストランは大きく分けてNon-veg とVegに分かれている。インドではベジタリアンが非常に多く、ベジレストランとは肉類を一切提供せず野菜だけ出す店のことで、ノンベジとは、野菜も肉も両方出すレストランのことを言う。このレストランで注文したのはMealsと呼ばれる定食だ。インドの定食がどういったものかというと、大きな皿にご飯と5種類ほどのおかず(カレー)とスープが載せられており、おかずをご飯にかけながら食べていくというものだ。これは北インドではターリー(大皿)と呼ばれているものであり、インドではどこでも食べられる。

 ノンベジなので肉は入っておらず、インゲン、じゃがいも、おくら、豆など実に様々なおかずが小皿に入っており、それらをご飯と一緒に食べた。周りの人もほとんどこのミールスを頼んでおり、手で食べている。僕も一瞬手で食べることを覚悟したが、インド人でもスプーンを使って食べている人がいたし、わざわざ店の人もスプーンを持ってきてくれたのでここは手を使わないことにした。お腹が空いていたこともあり、ものすごくおいしく感じられた。インドのカレーは日本のカレーとは違ってスパイスが効いており、味が深い。これらは日本ではほとんど見かけないパサパサのお米と非常に相性が良く、アッと言う間にライスを平らげてしまった。だが、ミールスの良いところはおかわりが自由ということ。僕のご飯がなくなったのを見るとすぐに店員がやってきてご飯を付け足してくれた。インド人に太った人が多いのは、このシステムのせいではないのか?と思うくらい店員は忙しくライスやおかずの補充に走り回っていた。

 ミールスはたしかに美味しい。しかし、同時に困ったこともある。それは食べていてどんどん汗が噴き出すということだ。決して激辛ということはないが、もともとスパイスが効いているのと、店内が暑いこともあって、ジムで運動している時以上の汗が噴き出してしたたり落ちた。その一方でインド人たちは一切汗をかかずにこれを食べている。そう、今までこの暑い中歩いたりしてきたが、インド人が汗をかいているのをほとんど見たことがない。さすがにずっと暑いところに住み続けていると体が順応してちょっとやそっとでは汗をかかなくなるのだろうと思った。僕も旅行終盤になれば、汗をかかなくなるのかもしれない。ペットボトルを床におとしてしまって店の人に怒られるなどの粗相はありつつも、この昼食は多いに楽しむことができ、お腹もいっぱいになった。これで合計が90ルピーつまり153円だというのだから驚きだ。予算を作る時に食事1回あたり500円で計算してしまったので、これはルピーが余ってしまうかもしれない。

 その後蚊対策として殺虫剤などを買い込んでホテルへと戻った。だが、ここもまた一筋縄にはいかなかったのだ。まず、電車に乗るところまでは順調だった。相変わらずチケット売り場らしきものは見当たらず、周りを見ていてもほとんどが無賃乗車に見える。これだけの乗客が乗っているのだったら、もししっかりとした仕組みを作ってお金を取ることができるならば国鉄の収支は相当改善しそうだと思うのは僕だけではないはずだ。予定通りにNambalamの駅で下車した。ここで夕食を調達することにした。先ほどあれだけたくさん食べたのだから、夜になってもあまり腹が減らないだろうと考えて、市場で1キロ10ルピーのトマトを買った。これ、日本円にすると17円だが、だいたい中小合わせて15個ほどのトマトを袋に詰めてくれた。(ということは、だいたい1個1円だ!)この前清澄で買い物に行ったときは予想外にトマトが高くてあまり買う気が起きなかったのとは対照的だ。ダメ元でインドのトマトの試食をするという軽い気持ちで購入した。
 
 別に歩いてホテルまで帰っても良かったのだが、ちょうど一番暑い時間帯だったために素直にオートリクシャを利用することにした。駅の近くに集まっていた運転手に料金を聞くと100ルピーからは下がらなかった。炎天下の中を歩いて帰ることと天秤にかけた結果、もちろんオートに乗ることを選択した。しかし、この選択が思わぬトラブルを呼ぶことになる。

 日本人の常識で考えて欲しい。普通は運転のプロであるドライバーが、本拠地とする駅から徒歩20分以内で行ける場所について全く知識がないということがあり得るだろうか。しかもこっちはただ名前を言うだけではなくて、細かい住所が書かれたビジネスカードを見せたのだ。それを見て運転手はすぐにわかったという感じで出発したのだが、途中、僕の記憶だと直進すべきところで左に曲がってやたらと大きな道を進んでいった。更にしばらく行って、案の定運転手は「えーっと、このあたりかなあ?」といった感じで車を停めた。これは絶対にわかっていないパターンだと確信して、Please go to this address!と強い口調で繰り返した。運転手はそれを聞いてそのあたりを歩いている人に手あたり次第に声をかけて場所を聞いていたが、もうその場所は僕のホテルがあるところから遠く離れているため、誰もわからずに運転手は途方に暮れだした。おいおい、これでは昨日の夜と全く同じではないか。インドのオートリクシャの運転手は何と頼りないことだろうか。それともインドでは乗客が完全に指示をするという方法なのだろうか。

 仕方がないので、出発地点の駅に戻るように指示して、そこからは今日朝駅に来た時のわずかな記憶を頼りにカーナビを行った。するといとも簡単に目的地に着いてしまったのだ。最初からこちらが指示していれば良かった・・・この寄り道のせいでだいたい10分以上はロスしただろうし、何より不安になった。そしてお決まりなのだが、降りるときになって「俺はこんなに頑張ったのだから、もう50ルピー上乗せしろ」という意味不明な要求をしてきた。日本だと、運転手の知識や技術の無さで多くかかってしまったときは上乗せせずに詫びるのに、インドは何て図々しいのだろうか。仕方がないので、30ルピーだけ渡した。だが、どうやら利便性の観点からだけで言うと、こんな僻地のホテルを予約してしまった自分に責任があると言えよう。でもまあいい、これから先のホテルはほとんどが市の中心部に近いところ、もしくは地球の歩き方に載っているところなのだから、それほどハズレはないだろう。