ご報告ですが、今年度をもって勤務する高校を退職致しました。
その中で感じたことについてこのブログで報告したいと思います。最後まで読んでいただき、ご意見を頂ければ嬉しいです。全国の教員に向けて書いた文章であることを念頭に置いて読んでいただけたらと思います。
1 はじめに
まず、5月に起きたある「事件」についてご報告いたします。
私は1年の英語コミュニケーションの授業にて、英語でスピーチを作って発表するというタスクを与えました。このタスクは、「自分が尊敬する著名人について調べてその人物について紹介する」というものです。宿題で与えたのですが、やってきた者が少なかったことから私はその場で生徒にスマホを使って10分間情報収集させ、その情報を基にしてスピーチを考えるという方法を採りました。
ちょうどその日は教育実習生による研究授業が行われており、教室の周りには数人の先生方が見学に来ておりました。その中で教頭先生を初めとして2、3人の先生が、生徒がスマホを操作しているのを目にしました。
私はこの後に管理職の先生から呼ばれて、「校則で禁止しているので、今後そういったことはしないように」と言われました。この時私はすんなりと引き下がりましたが、本心では間違ったことをしたとは考えておりません。そこで、この場をお借りして私の考えを皆さまに知って頂き、もう一度教育について考えていただきたいと願います。職場に対する不平不満では一切なく、日本の教育全体が考えなおすべき問題だということも明記しておきます。
2 教育が社会に果たす役割
まず、問題の詳細を論じる前に、今私達が生きている世界のことを考えてみてください。大学生、社会人が日常の生活や仕事の中で必要不可欠なものは何でしょうか?おそらく半数以上の人がパソコンやスマホと答えるでしょう。仕事をするためにはまずPCの前に座りますし、電車に乗ればまずスマホを手にします。仕事だけではなりません。例えば友人と食事に行くとなった時、家族で旅行に行くとなった時にまずすることはインターネットを使って情報収取や調査をすることです。そのためにもスマホは欠かせません。いわば、現在の社会、世界においてはいかにこういった情報機器を使いこなすかが、物事をうまく進めることができるかに直結していると言えます。まず、私達教師もこの事実を受け入れることが重要です。
更に、議論を私の専門である語学(英語)に限れば、スマホやインターネットの重要性は際立ちます。まず、わからない単語があった時にスマホのアプリで検索することができます。辞書や単語帳の利用を推奨する声もありますが、実際問題これらは常に携帯しているとは限らず、特に社会人にとって利便性が高い道具とは言えません。また、文法の解説やアメリカやイギリスなどでの英語の語法(実際の使われ方)を教えてくれるのもスマホです。一方で、スマホのアプリの中には語学学習向けのものも大変多く、TOEICの対策ができるもの、NHK WorldやBBC Englishを視聴できるものを初めとして無数のアプリが存在しております。つまり、スマホをうまく活用することは英語力を上げる大変心強い味方になるということです。
ここまで私は現代社会や英語学習の中でスマホやネットの果たす役割がいかに大きいかを説明してきました。これを踏まえて、教育が社会に果たす役割について考えたいと思います。そもそも、私たちが小学校、中学校、高校と12年もかけて教育を受ける大きな目的の一つが、将来優秀な人材として社会に貢献できるようになることです。勿論、学ぶ行為それ自体が教育の目的でもありますが、やはり国民の税金を使って行っている以上は国に貢献できる人材を育成して還元するべきでしょうし、何よりも生徒達自身が高等教育を受けることで社会に出て役立つスキルを身に着けたい、と考えているのではないでしょうか。
その目的の達成には、社会で最も必要とされているスマホを禁止にするのではなく、それをいかに利用して味方につけるかを教えるのが教育の役割だと私は思います。現状では、生徒たちはスマホやメディアなどの使い方を学校で学ぶ機会が推奨されているどころか禁止にされているので、それが学びの道具であるという考えは浮かばないでしょう。むしろ、校則で禁止されることにより、「悪」や、「遊びのもの」というイメージ付けがされているように感じます。その結果、スマホは仕事や学びに役立つツールではなく、LINEやゲームをするためのおもちゃになってしまうのです。こうなるとスマホは徒にゲーム会社の利益を増やすだけになってしまいます。
では、スマホの使用を一切禁止してどんなに素晴らしい授業が行われているかと言えば、日本の学校では概して「教師が一方的に講義をし、生徒がノートを取る」という形式が中心です。生徒に求められていることはただ静かに教師の話を聞き、機械的にメモをすることなのです。しかし、こういった受け身な姿勢は実際の社会に出た時にはあまり役立ちません。「指示待ち人間」や「内向き志向」など時代の要請に合わない人間が生まれる原因はこうした時代にそぐわない教育にもあると考えます。
スマホが授業の中で導入されれば、教育に新しい風を吹き込み、時代に合った人材の育成に効果を発揮することでしょう。少なくとも、完全受け身の姿勢に甘んじることはなくなり、生徒が自ら能動的に行動する機会が増えるでしょう。
例えば、私が英語コミュニケーションの授業で行った、スマホで情報を収集してそれを英語にするタスクは、街中で外国人の人に何かについて尋ねられた際にスマホを使って調べて、その情報を基にしてコミュニケーションを取ることの練習になります。もしこれをペアで行い、片方の生徒が「音声翻訳アプリ」などを使って音声認識を行えば、発音やアクセントが正しいか確かめる実践活動にもつながります。これは英語科の一例ですが、他の科目でもスマホを活用することができるでしょうし、むしろ教師はそれをしなければならないと思います。
特に高度にグローバル化が進んだ現代においては、何かの課題を解決するためには教科書だけでは不十分で、情報機器を駆使することが重要です。私が以前見学した学校では、ほぼ全ての授業で生徒は情報機器を操作することを許されており、それを活用したグループ単位の活動が盛んに行われていました。彼らは「最先端」の教育を売りにしていましたが、むしろ世界の教育先進国ではそういった形式が当たり前となって来つつあるのです。
3 スマホ禁止がもたらす思考停止
ここからは校則によりスマホの授業中の使用を禁止することの別の弊害について述べたいと思います。先ほどまでスマホ禁止は生徒が学校の授業で、現代社会が要求するスキルを習得するチャンスを無駄にしていると主張しましたが、無駄にしているだけではなく、悪影響を及ぼしているとさえ言うことができます。
もし校則で禁止されると生徒はどう考えるでしょうか?いや、何も考えなくなります。「校則で決まっているから使ってはいけない」や「先生がダメと言っているから使わない」と考えるでしょう。これは、生徒の思考を停止させていることになります。何故使うのか、何故使わないのか、これらを考えることに意味があるのではないでしょうか。なぜなら世の中では、学校生活のように細かく規則が規定されているわけではなく、犯罪を防ぐ法律などを除けば、「マナー」という大きな括りの中に入ります。スマホの使い方も社会でのマナー問題に直結します。例えば、人の話を聞いている時にスマホをいじっていては相手に不快感を与えますし、デート中にスマホばかり気にすることは異性の反感を買います。一方で、個々人で問題解決に取り組む時に使用することには何の問題もありません。しかし校則で全面禁止してしまうと、これらを考える必要性すらなくなってしまうのです。
「今スマホを使うことは適切だろうか、相手に対して失礼ではないだろうか・・・」
このように、常に相手や場の空気のことを思いやって考えることこそ、社会の中で必要とされるマナーや常識を養うのに不可欠だと思うのです。特にスマホは社会人になった時にもマナーに関する問題で取り上げられることが多いので、高校生のうちからしっかりと自分の頭で向き合って考えることが重要だと思うのです。思考停止からは、何ももたらされません。
長文失礼致しました。私が勤務させていただいた一年間で多くの先生方に感謝しており、勤務校も大変好きなのですが、この問題だけは日本の教育に共通する深刻な問題だと考えますので、職員会議などで「授業中のスマホ使用禁止解除」についての議論が起きることが、より良い教育を実現するための第一歩だと願って締めくくらさせていただきます。