てことで、今回は事実上初めての「春休み」なんじゃないかって思います。というのも、今までは確かに大学の区分で「夏休み」とか「春休み」とかそういうのはありましたが、1年生の夏休みはとにかく知識を補うために勉強せねばということと、後期からタスクが開始するので、それを考えたり、パイロット研究を行ったりと忙しく過ごしました。旅行は香港に3泊で行っただけであまり遊んでいないという印象があります。
1年生の春休み、実は当初は春休み中に修士論文を完成させる計画でしたので、特にliterature reviewを集中的にやりました。また、ビッキー先生から猫の世話を頼まれたこともあり、中野と自宅、大学を行き来する生活はそれほど楽なものではありませんでした。気付くと慣れない生活を多いに楽しみつつも、疲れも溜まっていました。そんなかんなで結局修士論文を終わらせるには至らず春休みは旅行といえば北海道のスキー旅行だけで終わりました。
2年生の夏休みは完全に自分の記憶は2つに分かれます。前半はとにかく修論を終わらせるために詰めを行って9月1日にメドを立てることができました。その後は半分旅行、半分勉強の目的でネパールに行きました。これが大学院に入ってからの大きな旅行です。しかし、やはりどこかでまだ修論を提出していないんだから・・という思いがあり、結局修論のことを考えると本気で「休み」にはしていられないというのが今までの大学院生活でしたし、実はこれでもまだまだだと思っています。
というのも、24、25歳という年齢での大学院生活でしたので、本来ならば3、4年目の社員として新人から抜け出して会社の中でも少しずつ重要なポジションを占める年齢になってきます。だいたい朝9時からしっかりと仕事を始めて、夜の9時くらいまで仕事をしている計算になります。中には海外へ飛び立って仕事をする人もいますし、何億単位のお金を扱う仕事を任せられている友人もいます。少しずつ結婚をしたとか、そういう話も聞きます。
それに比べたら、自分のやっていることなんてちっぽけなことで、なんと楽をしているのかと、僕は常に思っています。普段でも好きなことを勉強しているんだから、一日中仕事をしている彼らと比較すること自体、大変さの部分ではできないと思います。それでいて、大学院生である自分には2か月にも及ぶ「夏休み」とか「春休み」があります。当初、夏休みに入った時の気持ちは、何とも言えない罪悪感のようなものでした。普段でさえ9時から9時とかそういった縛りはないのに、休みなんてあって良いのだろうか・・・ そう思いました。だから、休みになっても旅行とかそういうのに行く以外は常に図書館で朝10時から夜10時まで勉強しました。お金をもらっているかもらっていないかの違いだからそれは当然だと思うかもしれませんが、僕だってお金はもらってします。家族から、期待を込めての投資をしてもらって、自分が勉強した知識を生かす英語教師の仕事もしており、将来の研究者を養成するための奨学金を頂き、月にXX万程度の収入はあります。だから、これらの期待に応えなければならないという意味でもある意味「仕事」だと思って今まで勉強やら研究に取り組んできたというのはあります。前置きが長くなりましたが、今までは、春休みや夏休みでも、研究への取り組み方の形を変えるだけで、量を落としたりそういったことはありませんでした。
しかし、今回はちょっと違います。もちろん今まで書いてきた論文を学会へ投稿したり読みたかったけど、忙しくて読めなかった本などを読んだりはしていますが、それでも修士論文を提出し終えたということが大きいです。ということで、博士入試の次の日は平日から大井競馬に行ったり、昨日は祝日で図書館が空いていないのでサイクリングに行ったりと、遊びの要素も多く取り入れています。その中から今回はサイクリングについて書きたいと思います。
快晴の日を狙っていた。いくら西高東低の気圧配置で晴れる冬だといっても、今年の東京は気まぐれで雨が降ったり、晴れていても氷点下になるなど、とても寒い日が多かった。
そんな1月を過ごして、春休みに入ってからも相変わらず寒い日が続いていたが、今週に入ってからは少しだけ寒さが緩んだ。2月11日、前日までは外で弁当を食べるのも心の準備が必要なくらい寒い日が続いていたのだが、天気予報を見ると11日は気温が12度まで上がると表示されていた。やった。今までが5度くらいの日々を生きていたので、このプラス7は相当大きい。翌日も快晴が予想されており、気温も急激な下落はなさそうだった。
「よし、行こう」
僕はこの天気予報を見てサイクリング旅行を即決した。というのも、実家から社会人時代に乗っていた赤いクロスバイク(4万ちょい)を送ってもらってから、ちょこちょことサイクリングをし始めてからその楽しさに味をしめ時間があれば1泊の日程でサイクリング旅行をしたいと思っていたのだ。しかし、12月、1月は忙しさと寒さでとてもじゃないが実行に移せなかった。しかし、2月に入り、一通り全て終わってこの天気ときたので、内的要因と外的要因がうまくかみ合って出発にこぎつけたのだ。
前日から、目的地はどこにしようかとそのことで頭がいっぱいだった。もともとのプランでは横須賀まで行く予定だったのだが、横須賀にはあまりホテルがなくて、しかもかなり遠い。
2月5日に足を故障して、それから完全復活できているかが微妙だったので、いきなりの長距離サイクリングを横須賀にするのはハードルが高すぎるとして断念した。しかし海が好きな僕は、なんとなく神奈川方面にしようとは最初から決めていたので、少しというかかなり戻って横浜に決定した。横浜には安いホテルがあるというのもあった。なんとアパホテルは4500円から部屋を提供しており、大浴場付きということだった。スーパーホテルよりはアパホテル派なのですぐに予約して出発の時を迎えた。
街もなんだかいつもと違った輝きを放っているように感じるこの瞬間は、なんとも言えない緊張感に包まれる。程よい緊張感だ。太陽の光は温かく頭上に降り注ぎ、昨日までの極寒の世界が嘘のようである。いつもの場所から見下ろす景色も小春日和の中にぼんやりと浮かんでいる。思えばこの感覚はドライブに出発する前のあれと似ている。ぞくぞくするようなあの感覚だ。いったいこの先何が待ち構えているのだろうという興奮と事故をしないようにという少しだけ不安な気持ち。それが混じりあった時に「非日常」というコンテクストが立ち現れるのだ。
最初はいきなり飛ばすとケガをするおそれもあるのでゆっくりと入る。入念にストレッチはしたが、故障明けのため無理をしてはいけない。一か所一か所点検するように徐々に足に力を込めていく。この時点ではあまり力を入れて漕がずに流れに身を任せて、サイクリングをしている自分という状態にまず慣れることが一番重要だ。
ガラス張りになっている建物の脇を通過するときにチラっと走る自分の姿を見て、我ながら格好いいと思う。そりゃそうか、クロスバイクにサングラスというそれなりの恰好をしていて恰好がつかなければもう救いようがないということである。
今回のルートは以前羽田空港近くの城南島公園に行ったときのルートプラス横浜までのルートが付け加わったものだった。よってはじめは前の記憶を辿りながら徐々にペースを上げながら城南島方面を目指した。
そうはいってもサイクリングの旅に道を間違えることは付き物だし、それがなければ「あ、この道でよかった」とか道が合っていた時の喜びを味わうこともなくなってしまう。今回も結局ズレていることがわかり、1キロほど修正しなければならないことは何度かあった。そのうちの一回は修正しようと思って走り出したところへ後ろから2人組の同じようなロードバイクに乗っている人が来たので思い切って追走してみようと思った。いったん行かせて3番手につけたが、当初思っていたよりも相手のスピードが速かった。いきなりフルスロットルにして全力で走ったが、それでも追い付けずに結局途中から追うのをあきらめた。
そこで僕はこのバイクが彼らのものに比べればクロスバイクという安物で、僕の足もまだまだ鍛える余地があるということを思い知らされたのだった。気を取り直してマイペース。品川まで出るとそこからは川崎を通って横浜へとつなぐルートを選択した。かなり交通量が多い道で川崎に入ってからはなんだか工業地帯があるからかわからないが異臭が漂ってくるようになった。
途中羽田空港を過ぎたあたりからは高速道路が並走していたのだが、いつの間にかその高速道路がぴったりと頭上に張り付いてその下を走る形となってしまっていた。なんだか閉じ込められたようで風景もほとんど変わらず延々と同じような光景が続くだけである。大きな道路とそのさらに上をいく高速道路。両脇にはあまり店はなく、人もほとんど歩いていない。
このようなある意味殺風景な景色の中を走っていると疲れが忍び寄ってくる。時計を見ると14時をゆうにまわっており、ここまでほぼノンストップでやってきたことを考えるとそろそろ休憩して軽く何か食べても良い時間だ。しかし、何故か左車線には全くと言って良いほど店が見当たらないので仕方がなく右側に見えてきたセブンイレブンに入ることにした。
このセブン、実は今思うとすごく当たりだった。すぐ近くに公園があり、そこのベンチに座ってから揚げ棒やおにぎりを食べて休憩することができた。ゆっくりとストレッチをすることもでき、もう一度経路設計をした後に出発した。近くでは少年がサッカーに打ち込む姿や消防署があり、隊員が訓練する声がよく聞こえていた。
しばらく走ると右折してより内陸のルートに入った。何故今までこの海に近くてあまり面白味のないルートを走ってきたかというと、どこかで海が見えるかもしれないという期待があったからだ。しかし、そんなものは見えず、異臭しか漂ってこなかったのでもうあきらめた。
内陸のルートは高速道路も通っておらず、異臭からも解放あれてとても走りやすかった。歩行者用のスペースが十分にとられているので自転車でも余裕をもって走ることができるとてもとても平和な道。横を見るとまたふたりのロードバイクに抜かされていった。いったい今日一日で何人に抜かされたのだろうか。一方で僕はもう3時間以上もこぎ続けているし、これが久々のサイクリングだったということもあるので、完全に脚が残っていなかった。馬なりと言っても良いほどのスピードしか出ずにゆっくりと横浜に向けて進んでいったのだ。その様子は流れるプールを浮き輪に乗って流されていくようにのんびりとしていたことだろう。
横浜に近くなっていくのは標識を見て感じることができる。というのも、ある時点までは「横浜OOキロ」という表示があるのだが、途中からそれはなくなり、さらに先の町の案内が出てくるようになった。つまり、広い意味ではもう横浜に入っているということなのだ。いよいよラストスパート、第四コーナーをカーブしたということか。心なしか車の量も増えているように感じるし、両脇に建つビルの高さも高くなってきているような気がする。
途中に「生麦」という駅を通過した。すぐ隣にはキリンの工場のような施設があり、見学できるらしくて大勢の人々が詰めかけていた。横浜からは若干距離があるにも関わらずこれだけの客を呼べるということはビール工場見学は人気があるようだ。このあたりからいよいよ都市へと風景が変わっていた。東神奈川を抜けると両側に近未来的な好走ビルが立ち並んだ。一瞬NYに来たかのような近未来ぶりに驚いて若干進み過ぎてしまい再び戻った。海側から関内を目指したため、まずは遠景から見えたみなとみらいに感動する。
この景色がここにあるということは知っていたが、実際に生で見るのはいつ以来だろう。もっとも色濃く残っているのは2年くらい前に元カノと来た時の楽しかった思い出だが、よく考えてみると横浜自体はドラゴンズの試合を観戦するために足を運んでいた。
しかし、今日はご覧のとおり雲一つない快晴である。波も穏やかで本当に近未来に来てしまったかのようだ。とりあえずここまで来れたことに私は達成感でいっぱいだった。
ホテルにチェックインしてすぐに持ってきた本でも読もうかと考えたが、一応横浜まで来たことだし散歩でもするかと思って再び関内からみなとみらいまでやってきた。するとその途中でおじさんから声をかけられて「関内駅はどちらですか?」と言われた。たしかにこのスポーティーな格好で自転車に乗って走っていれば誰も東京からはるばる来た土地勘のない人だとは思わない。一応わかったので「まっすぐで大丈夫ですよ」と言っておいた。これで僕も浜っ子か。
しかしここで感じたのは横浜というのは、本当に休日は恋人のためのような街になるということだった。ランニングをしようにもカップルカップルカップルという状態で、まともに走ることすらできなかった。山下公園なんてもうひどいものでパっと風景を目にしただけでそこには10カップル以上が飛び込んでくるようなそんな有様だった。仕方なしに1周だけしてすぼすぼとホテルに帰ったのであった。やはり横浜に男一人で楽しめるような要素を期待してはダメだ。次に来ることがあるとしたらそれは女の子とだろうけど、そんな誰もが思いつくような定番なデートに自分が甘んじるとも思えない。(いや、でも定番でふつうなデートなどないのかもしれない。全てがオーダーメイドで愛に満ちているのだから)
ホテルに帰るとすぐに風呂に向かった。アパホテルを予約した理由はズバリ風呂があるから!14階の大浴場はさすがに展望風呂にはなっていないものの、大きな湯船、サウナ、露天風呂まで用意されていてまだ人が少ない中ゆったりと入ることができた。これで4500円なのだからもう安すぎの部類に入るだろう。風呂から出るとさっきまで一緒に入っていたおっさんが自販機でのどごし生を買って、14階のエレベータに乗る前から飲み始めて、6階で降りるまでの約1分ちょいの間に全て飲み干すという離れ業を見せ、しかもゲップはしたもののおいしそうに飲んでいたので、僕もビールか発泡酒が飲みたくなった。ちょうど良いことに向かいにコンビニがあり、横にたこ焼き屋があったので、たこ焼きとカップ焼きそば、プラス金麦のひとりたこ焼きpartyを部屋で開催した。一日走ってしかも風呂上りということもあり、のどはカラカラ、お腹はペコペコという状態だったので、とてもおいしく召し上がることができ、気持ちよく酔うことができた。アパホテルの部屋はこれでもかというほど狭かったが、ベッド自体は大きく、風呂トイレのスペースは広かったので、遅い時間にチェックインして眠るだけというビジネスマンのことを考えた造りになっているなあと感心しながら眠りについた。



1年生の春休み、実は当初は春休み中に修士論文を完成させる計画でしたので、特にliterature reviewを集中的にやりました。また、ビッキー先生から猫の世話を頼まれたこともあり、中野と自宅、大学を行き来する生活はそれほど楽なものではありませんでした。気付くと慣れない生活を多いに楽しみつつも、疲れも溜まっていました。そんなかんなで結局修士論文を終わらせるには至らず春休みは旅行といえば北海道のスキー旅行だけで終わりました。
2年生の夏休みは完全に自分の記憶は2つに分かれます。前半はとにかく修論を終わらせるために詰めを行って9月1日にメドを立てることができました。その後は半分旅行、半分勉強の目的でネパールに行きました。これが大学院に入ってからの大きな旅行です。しかし、やはりどこかでまだ修論を提出していないんだから・・という思いがあり、結局修論のことを考えると本気で「休み」にはしていられないというのが今までの大学院生活でしたし、実はこれでもまだまだだと思っています。
というのも、24、25歳という年齢での大学院生活でしたので、本来ならば3、4年目の社員として新人から抜け出して会社の中でも少しずつ重要なポジションを占める年齢になってきます。だいたい朝9時からしっかりと仕事を始めて、夜の9時くらいまで仕事をしている計算になります。中には海外へ飛び立って仕事をする人もいますし、何億単位のお金を扱う仕事を任せられている友人もいます。少しずつ結婚をしたとか、そういう話も聞きます。
それに比べたら、自分のやっていることなんてちっぽけなことで、なんと楽をしているのかと、僕は常に思っています。普段でも好きなことを勉強しているんだから、一日中仕事をしている彼らと比較すること自体、大変さの部分ではできないと思います。それでいて、大学院生である自分には2か月にも及ぶ「夏休み」とか「春休み」があります。当初、夏休みに入った時の気持ちは、何とも言えない罪悪感のようなものでした。普段でさえ9時から9時とかそういった縛りはないのに、休みなんてあって良いのだろうか・・・ そう思いました。だから、休みになっても旅行とかそういうのに行く以外は常に図書館で朝10時から夜10時まで勉強しました。お金をもらっているかもらっていないかの違いだからそれは当然だと思うかもしれませんが、僕だってお金はもらってします。家族から、期待を込めての投資をしてもらって、自分が勉強した知識を生かす英語教師の仕事もしており、将来の研究者を養成するための奨学金を頂き、月にXX万程度の収入はあります。だから、これらの期待に応えなければならないという意味でもある意味「仕事」だと思って今まで勉強やら研究に取り組んできたというのはあります。前置きが長くなりましたが、今までは、春休みや夏休みでも、研究への取り組み方の形を変えるだけで、量を落としたりそういったことはありませんでした。
しかし、今回はちょっと違います。もちろん今まで書いてきた論文を学会へ投稿したり読みたかったけど、忙しくて読めなかった本などを読んだりはしていますが、それでも修士論文を提出し終えたということが大きいです。ということで、博士入試の次の日は平日から大井競馬に行ったり、昨日は祝日で図書館が空いていないのでサイクリングに行ったりと、遊びの要素も多く取り入れています。その中から今回はサイクリングについて書きたいと思います。
快晴の日を狙っていた。いくら西高東低の気圧配置で晴れる冬だといっても、今年の東京は気まぐれで雨が降ったり、晴れていても氷点下になるなど、とても寒い日が多かった。
そんな1月を過ごして、春休みに入ってからも相変わらず寒い日が続いていたが、今週に入ってからは少しだけ寒さが緩んだ。2月11日、前日までは外で弁当を食べるのも心の準備が必要なくらい寒い日が続いていたのだが、天気予報を見ると11日は気温が12度まで上がると表示されていた。やった。今までが5度くらいの日々を生きていたので、このプラス7は相当大きい。翌日も快晴が予想されており、気温も急激な下落はなさそうだった。
「よし、行こう」
僕はこの天気予報を見てサイクリング旅行を即決した。というのも、実家から社会人時代に乗っていた赤いクロスバイク(4万ちょい)を送ってもらってから、ちょこちょことサイクリングをし始めてからその楽しさに味をしめ時間があれば1泊の日程でサイクリング旅行をしたいと思っていたのだ。しかし、12月、1月は忙しさと寒さでとてもじゃないが実行に移せなかった。しかし、2月に入り、一通り全て終わってこの天気ときたので、内的要因と外的要因がうまくかみ合って出発にこぎつけたのだ。
前日から、目的地はどこにしようかとそのことで頭がいっぱいだった。もともとのプランでは横須賀まで行く予定だったのだが、横須賀にはあまりホテルがなくて、しかもかなり遠い。
2月5日に足を故障して、それから完全復活できているかが微妙だったので、いきなりの長距離サイクリングを横須賀にするのはハードルが高すぎるとして断念した。しかし海が好きな僕は、なんとなく神奈川方面にしようとは最初から決めていたので、少しというかかなり戻って横浜に決定した。横浜には安いホテルがあるというのもあった。なんとアパホテルは4500円から部屋を提供しており、大浴場付きということだった。スーパーホテルよりはアパホテル派なのですぐに予約して出発の時を迎えた。
街もなんだかいつもと違った輝きを放っているように感じるこの瞬間は、なんとも言えない緊張感に包まれる。程よい緊張感だ。太陽の光は温かく頭上に降り注ぎ、昨日までの極寒の世界が嘘のようである。いつもの場所から見下ろす景色も小春日和の中にぼんやりと浮かんでいる。思えばこの感覚はドライブに出発する前のあれと似ている。ぞくぞくするようなあの感覚だ。いったいこの先何が待ち構えているのだろうという興奮と事故をしないようにという少しだけ不安な気持ち。それが混じりあった時に「非日常」というコンテクストが立ち現れるのだ。
最初はいきなり飛ばすとケガをするおそれもあるのでゆっくりと入る。入念にストレッチはしたが、故障明けのため無理をしてはいけない。一か所一か所点検するように徐々に足に力を込めていく。この時点ではあまり力を入れて漕がずに流れに身を任せて、サイクリングをしている自分という状態にまず慣れることが一番重要だ。
ガラス張りになっている建物の脇を通過するときにチラっと走る自分の姿を見て、我ながら格好いいと思う。そりゃそうか、クロスバイクにサングラスというそれなりの恰好をしていて恰好がつかなければもう救いようがないということである。
今回のルートは以前羽田空港近くの城南島公園に行ったときのルートプラス横浜までのルートが付け加わったものだった。よってはじめは前の記憶を辿りながら徐々にペースを上げながら城南島方面を目指した。
そうはいってもサイクリングの旅に道を間違えることは付き物だし、それがなければ「あ、この道でよかった」とか道が合っていた時の喜びを味わうこともなくなってしまう。今回も結局ズレていることがわかり、1キロほど修正しなければならないことは何度かあった。そのうちの一回は修正しようと思って走り出したところへ後ろから2人組の同じようなロードバイクに乗っている人が来たので思い切って追走してみようと思った。いったん行かせて3番手につけたが、当初思っていたよりも相手のスピードが速かった。いきなりフルスロットルにして全力で走ったが、それでも追い付けずに結局途中から追うのをあきらめた。
そこで僕はこのバイクが彼らのものに比べればクロスバイクという安物で、僕の足もまだまだ鍛える余地があるということを思い知らされたのだった。気を取り直してマイペース。品川まで出るとそこからは川崎を通って横浜へとつなぐルートを選択した。かなり交通量が多い道で川崎に入ってからはなんだか工業地帯があるからかわからないが異臭が漂ってくるようになった。
途中羽田空港を過ぎたあたりからは高速道路が並走していたのだが、いつの間にかその高速道路がぴったりと頭上に張り付いてその下を走る形となってしまっていた。なんだか閉じ込められたようで風景もほとんど変わらず延々と同じような光景が続くだけである。大きな道路とそのさらに上をいく高速道路。両脇にはあまり店はなく、人もほとんど歩いていない。
このようなある意味殺風景な景色の中を走っていると疲れが忍び寄ってくる。時計を見ると14時をゆうにまわっており、ここまでほぼノンストップでやってきたことを考えるとそろそろ休憩して軽く何か食べても良い時間だ。しかし、何故か左車線には全くと言って良いほど店が見当たらないので仕方がなく右側に見えてきたセブンイレブンに入ることにした。
このセブン、実は今思うとすごく当たりだった。すぐ近くに公園があり、そこのベンチに座ってから揚げ棒やおにぎりを食べて休憩することができた。ゆっくりとストレッチをすることもでき、もう一度経路設計をした後に出発した。近くでは少年がサッカーに打ち込む姿や消防署があり、隊員が訓練する声がよく聞こえていた。
しばらく走ると右折してより内陸のルートに入った。何故今までこの海に近くてあまり面白味のないルートを走ってきたかというと、どこかで海が見えるかもしれないという期待があったからだ。しかし、そんなものは見えず、異臭しか漂ってこなかったのでもうあきらめた。
内陸のルートは高速道路も通っておらず、異臭からも解放あれてとても走りやすかった。歩行者用のスペースが十分にとられているので自転車でも余裕をもって走ることができるとてもとても平和な道。横を見るとまたふたりのロードバイクに抜かされていった。いったい今日一日で何人に抜かされたのだろうか。一方で僕はもう3時間以上もこぎ続けているし、これが久々のサイクリングだったということもあるので、完全に脚が残っていなかった。馬なりと言っても良いほどのスピードしか出ずにゆっくりと横浜に向けて進んでいったのだ。その様子は流れるプールを浮き輪に乗って流されていくようにのんびりとしていたことだろう。
横浜に近くなっていくのは標識を見て感じることができる。というのも、ある時点までは「横浜OOキロ」という表示があるのだが、途中からそれはなくなり、さらに先の町の案内が出てくるようになった。つまり、広い意味ではもう横浜に入っているということなのだ。いよいよラストスパート、第四コーナーをカーブしたということか。心なしか車の量も増えているように感じるし、両脇に建つビルの高さも高くなってきているような気がする。
途中に「生麦」という駅を通過した。すぐ隣にはキリンの工場のような施設があり、見学できるらしくて大勢の人々が詰めかけていた。横浜からは若干距離があるにも関わらずこれだけの客を呼べるということはビール工場見学は人気があるようだ。このあたりからいよいよ都市へと風景が変わっていた。東神奈川を抜けると両側に近未来的な好走ビルが立ち並んだ。一瞬NYに来たかのような近未来ぶりに驚いて若干進み過ぎてしまい再び戻った。海側から関内を目指したため、まずは遠景から見えたみなとみらいに感動する。
この景色がここにあるということは知っていたが、実際に生で見るのはいつ以来だろう。もっとも色濃く残っているのは2年くらい前に元カノと来た時の楽しかった思い出だが、よく考えてみると横浜自体はドラゴンズの試合を観戦するために足を運んでいた。
しかし、今日はご覧のとおり雲一つない快晴である。波も穏やかで本当に近未来に来てしまったかのようだ。とりあえずここまで来れたことに私は達成感でいっぱいだった。
ホテルにチェックインしてすぐに持ってきた本でも読もうかと考えたが、一応横浜まで来たことだし散歩でもするかと思って再び関内からみなとみらいまでやってきた。するとその途中でおじさんから声をかけられて「関内駅はどちらですか?」と言われた。たしかにこのスポーティーな格好で自転車に乗って走っていれば誰も東京からはるばる来た土地勘のない人だとは思わない。一応わかったので「まっすぐで大丈夫ですよ」と言っておいた。これで僕も浜っ子か。
しかしここで感じたのは横浜というのは、本当に休日は恋人のためのような街になるということだった。ランニングをしようにもカップルカップルカップルという状態で、まともに走ることすらできなかった。山下公園なんてもうひどいものでパっと風景を目にしただけでそこには10カップル以上が飛び込んでくるようなそんな有様だった。仕方なしに1周だけしてすぼすぼとホテルに帰ったのであった。やはり横浜に男一人で楽しめるような要素を期待してはダメだ。次に来ることがあるとしたらそれは女の子とだろうけど、そんな誰もが思いつくような定番なデートに自分が甘んじるとも思えない。(いや、でも定番でふつうなデートなどないのかもしれない。全てがオーダーメイドで愛に満ちているのだから)
ホテルに帰るとすぐに風呂に向かった。アパホテルを予約した理由はズバリ風呂があるから!14階の大浴場はさすがに展望風呂にはなっていないものの、大きな湯船、サウナ、露天風呂まで用意されていてまだ人が少ない中ゆったりと入ることができた。これで4500円なのだからもう安すぎの部類に入るだろう。風呂から出るとさっきまで一緒に入っていたおっさんが自販機でのどごし生を買って、14階のエレベータに乗る前から飲み始めて、6階で降りるまでの約1分ちょいの間に全て飲み干すという離れ業を見せ、しかもゲップはしたもののおいしそうに飲んでいたので、僕もビールか発泡酒が飲みたくなった。ちょうど良いことに向かいにコンビニがあり、横にたこ焼き屋があったので、たこ焼きとカップ焼きそば、プラス金麦のひとりたこ焼きpartyを部屋で開催した。一日走ってしかも風呂上りということもあり、のどはカラカラ、お腹はペコペコという状態だったので、とてもおいしく召し上がることができ、気持ちよく酔うことができた。アパホテルの部屋はこれでもかというほど狭かったが、ベッド自体は大きく、風呂トイレのスペースは広かったので、遅い時間にチェックインして眠るだけというビジネスマンのことを考えた造りになっているなあと感心しながら眠りについた。


