夏休み中、8月15日。奈良から戻った翌日は祖父と笠松競馬を訪れていた。さあ、いよいよレーススタートというところで携帯を取り出すと、そこには普段あまりメールの来ない人から着信の表示があった。その他にもLINEやフェイスブックメッセンジャーからいろいろと届いていたのでいったいどうしたんだろう?と開けてみると「LINEが乗っ取られたようです」とか、「今何してるの?」などとまるで自分がトラブルに巻き込まれたととれるようなメールが大半だった。そもそもLINEは乗っ取られるものなのか。そこから問いが始まる。フェイスブックが乗っ取られたという話は聞いたことがあったが、LINEは初耳だった。いったいどうしたんだろうと思ってLINEを開こうとするが、何やらトラブルが発生したような画面になってしまい、今日の午前中まで見ていたお馴染みの画面が表示されることは二度となかった。
ちょうどその時、ゼミの後輩がメッセージを送ってくれて、そこでその乗っ取りの正体が明らかになった。それはいってみればなりすましである。私のアカウントを乗っ取って、なりすますことによって、あたかもその本人からメッセージが送られたかのように見せてそこで騙そうとすることを指す。とにかく、一言で言えば、他人になりすまして損害を与える行為だ。しかし、理解できないのは、過去のメッセージの履歴等を見ないで例えば相手が後輩だとわかるはずなのに敬語でメッセージを送っている点。また、コンビニでItunesのカードを買ってくれと頼んではいるが、そうすることで乗っ取り犯が得するとは思えない点。この2点に絞られる。もし、仮に自分が乗っ取りをするならば、過去のメッセージを研究して、関係を読み解き、いかにも困っていそうなフリをして、少額の現金(例えば1~3万程度)を口座に振り込ませるくらいの詐欺を考えるだろう。でなければ、わざわざラインを乗っ取った意味がない。おまけに更にびっくりしたのは、全ての人に同じメッセージを一斉送信しているということだ。そして例によってitunesのカードの購入を頼んでいる。ナンセンスとしか言いようがないイタズラである。
結局私の友人の中では騙された人はいないようだったし、LINE乗っ取りは最近はやりの手口らしくて「他の友達でもあったけど」などと前置きをしてメッセージをくれる人が多かった。取り立てて深刻な問題には発展せず、新しいLINEアカウントを作り直したので復旧までに半日ほどしかかからなかった。私はもともとLINEがどちらかというと嫌いなので何とも思わなかったが、中にはこのコミュニケーションツールを大切に使っている人も多いようでそれらの人にとって、こうした行為は許し難いことは想像に難くない。
ここで、私はこの事件をきっかけにLINEについて少し考えてみることにする。
ひとつ、LINEのひとり歩き。今回この乗っ取りにより、登録されている人のほぼ全てにメッセージが送信された。その中にはほとんど現実世界において交流、関係性が無い人が大勢いる。
Facebookと連動させてあったので自動的にLINEに登録されていたり、電話帳に番号があれば登録される仕組みになっていた。そのせいで、自分の中で「化石」と言うべき存在になっていた人物と思いがけなく接触することになってしまった。私はここに最大の違和感を感じた。自分の中でどちらかというほど、どうでも良い人に、わざわざ自分からメッセージを送って(送ったことになっていて)結果的に迷惑をかけることが腹立たしい。通常であれば、接点すらない人たち。自分からは絶対にメッセージを送らない人にまでわざわざ自分から送ったことになっている点が納得できない。なぜならば、そのようなことは実際のコミュニケーションでは絶対に起こり得ないから。どうでも良い人に話かけることなんてまずしない。普段LINEを使う人はかなり限られていて、そのメッセージも何か特別な、ありえないことをやりとりするのではなく、ごくごく普通の、実際に会って話すようなことをLINEを通してやりとりするのだ。以前のグループライン無視を批判する記事にも書かせてもらったが、LINE上では、こうした実際のコミュニケーションの基本を全く無視したやりとりが行われる危険性がある。しかも、今回の場合は、本人の意思とは全く関係ないところで勝手にやりとりが行われていた。私が違和感をおぼえている理由、腹立たしさを感じている存在はおそらくここにある。つまりLINEというコミュニケーションツールは日頃私たちが感じているコミュニケーションという常識をあたかも簡単に崩壊させてしまう。グループメール無視も、どうでも良い人に話かけることも、現実世界ではまず起こり得ない。
逆にもうひとつは、LINEの持つ可能性である。今回びっくりしたことのひとつに、多くの友人が過去何年間と話していなかったにも関わらず、電話、facebook messenger などを通して私に連絡をしてくれたということである。それも、何年かの年月を経たような「久しぶり!」などの前置きなしに、今何してますか?忙しいですか?の問いかけに対して、忙しくないよーなどとその後普通に誘えば、今からでも新宿に来てくれそうな返事が返ってきたことだ。(希望的観測だが)
自分はあまり人脈をうまく利用できているほうだとは思わないが、このように気軽に話しかけられる環境は、離れている距離や年月を実際のそれ以上に短く見せかけることができるのではないか。仰々しい前置きや挨拶なしに、まるで昨日まで同窓生だったかのように会話をすることができるのは、このコミュニケーションツールのひとつの可能性である。従来のコミュニケーション方法では決してこんなことはできなかった。それがどうだろうか、スマートフォンという手元の小さな機械で、瞬時に、時、距離を超えて私たちは疎遠になった他人に話しかけることができる。「ねえねえ」「何?」従来は部屋でこそ、可能だったやりとり、一緒にいるからこそ可能だったやりとりが、今では地球の裏側にいて、何年も隔てられた関係の中にでも復活するのだ。それは、個人の自由意思と送信のボタンを押す勇気によってのみ制限される。つまり、上では実際のコミュニケーションでは起こらないことがLINEによって起きているという悪い点について述べたが、ここで述べたかったのは、いかにも実際のコミュニケーションでありそうなことをそれが叶わない相手との間に実現させてしまうということだ。実際に、この一件があったせいで、過去2年ほど会っていなくて、連絡も取っていなかった当時のかなり仲の良かった友人と近々飲みに行く予定も立てることができた。そう考えると、私はこの乗っ取り犯に感謝すべきなのかもしれないという複雑な気分になる。
しかし、これは必然の原理によって考えると何ら特別なことではない。昔から、何か新しい技術革新が起きると、人々の生活が豊かになったり、便利になったりした。例えば、火が発明されたときに、人間は夜の闇に立ち向かい、調理方法に幅が広がった。一方で、放火、焼き討ちなどの犯罪が発生するようになった。車にしたって大差は無い。人々は気軽にどこへでも行ける自由を手にした。特に自動車の一般化は、女性のエンパワーメントに一役買ったと言われている。しかし一方で、交通事故や渋滞による空気汚染などの新たな問題を引き起こした。インターネット技術、医療技術などどれをとっても、完璧で利益しかもたらさないなんてものは無い。だいたい、人間が習得した言葉であっても、人を幸せにすることができるし、自殺に追いやってしまうこともある。結婚のプロポーズで感無量になり、心無い一言でどん底に突き落とされる。LINEであっても、まったくもってその例外ではない。LINEは、離れた時間、距離を超えて、気軽なおしゃべりを復活させられる一方で、現実コミュニケーションでは全くあり得ない、人を苛立たせるような会話を出現させてしまうこともある。
みなさんも一度、乗っ取られてみることで、真の人間関係が見えてくるかもしれない。
ちょうどその時、ゼミの後輩がメッセージを送ってくれて、そこでその乗っ取りの正体が明らかになった。それはいってみればなりすましである。私のアカウントを乗っ取って、なりすますことによって、あたかもその本人からメッセージが送られたかのように見せてそこで騙そうとすることを指す。とにかく、一言で言えば、他人になりすまして損害を与える行為だ。しかし、理解できないのは、過去のメッセージの履歴等を見ないで例えば相手が後輩だとわかるはずなのに敬語でメッセージを送っている点。また、コンビニでItunesのカードを買ってくれと頼んではいるが、そうすることで乗っ取り犯が得するとは思えない点。この2点に絞られる。もし、仮に自分が乗っ取りをするならば、過去のメッセージを研究して、関係を読み解き、いかにも困っていそうなフリをして、少額の現金(例えば1~3万程度)を口座に振り込ませるくらいの詐欺を考えるだろう。でなければ、わざわざラインを乗っ取った意味がない。おまけに更にびっくりしたのは、全ての人に同じメッセージを一斉送信しているということだ。そして例によってitunesのカードの購入を頼んでいる。ナンセンスとしか言いようがないイタズラである。
結局私の友人の中では騙された人はいないようだったし、LINE乗っ取りは最近はやりの手口らしくて「他の友達でもあったけど」などと前置きをしてメッセージをくれる人が多かった。取り立てて深刻な問題には発展せず、新しいLINEアカウントを作り直したので復旧までに半日ほどしかかからなかった。私はもともとLINEがどちらかというと嫌いなので何とも思わなかったが、中にはこのコミュニケーションツールを大切に使っている人も多いようでそれらの人にとって、こうした行為は許し難いことは想像に難くない。
ここで、私はこの事件をきっかけにLINEについて少し考えてみることにする。
ひとつ、LINEのひとり歩き。今回この乗っ取りにより、登録されている人のほぼ全てにメッセージが送信された。その中にはほとんど現実世界において交流、関係性が無い人が大勢いる。
Facebookと連動させてあったので自動的にLINEに登録されていたり、電話帳に番号があれば登録される仕組みになっていた。そのせいで、自分の中で「化石」と言うべき存在になっていた人物と思いがけなく接触することになってしまった。私はここに最大の違和感を感じた。自分の中でどちらかというほど、どうでも良い人に、わざわざ自分からメッセージを送って(送ったことになっていて)結果的に迷惑をかけることが腹立たしい。通常であれば、接点すらない人たち。自分からは絶対にメッセージを送らない人にまでわざわざ自分から送ったことになっている点が納得できない。なぜならば、そのようなことは実際のコミュニケーションでは絶対に起こり得ないから。どうでも良い人に話かけることなんてまずしない。普段LINEを使う人はかなり限られていて、そのメッセージも何か特別な、ありえないことをやりとりするのではなく、ごくごく普通の、実際に会って話すようなことをLINEを通してやりとりするのだ。以前のグループライン無視を批判する記事にも書かせてもらったが、LINE上では、こうした実際のコミュニケーションの基本を全く無視したやりとりが行われる危険性がある。しかも、今回の場合は、本人の意思とは全く関係ないところで勝手にやりとりが行われていた。私が違和感をおぼえている理由、腹立たしさを感じている存在はおそらくここにある。つまりLINEというコミュニケーションツールは日頃私たちが感じているコミュニケーションという常識をあたかも簡単に崩壊させてしまう。グループメール無視も、どうでも良い人に話かけることも、現実世界ではまず起こり得ない。
逆にもうひとつは、LINEの持つ可能性である。今回びっくりしたことのひとつに、多くの友人が過去何年間と話していなかったにも関わらず、電話、facebook messenger などを通して私に連絡をしてくれたということである。それも、何年かの年月を経たような「久しぶり!」などの前置きなしに、今何してますか?忙しいですか?の問いかけに対して、忙しくないよーなどとその後普通に誘えば、今からでも新宿に来てくれそうな返事が返ってきたことだ。(希望的観測だが)
自分はあまり人脈をうまく利用できているほうだとは思わないが、このように気軽に話しかけられる環境は、離れている距離や年月を実際のそれ以上に短く見せかけることができるのではないか。仰々しい前置きや挨拶なしに、まるで昨日まで同窓生だったかのように会話をすることができるのは、このコミュニケーションツールのひとつの可能性である。従来のコミュニケーション方法では決してこんなことはできなかった。それがどうだろうか、スマートフォンという手元の小さな機械で、瞬時に、時、距離を超えて私たちは疎遠になった他人に話しかけることができる。「ねえねえ」「何?」従来は部屋でこそ、可能だったやりとり、一緒にいるからこそ可能だったやりとりが、今では地球の裏側にいて、何年も隔てられた関係の中にでも復活するのだ。それは、個人の自由意思と送信のボタンを押す勇気によってのみ制限される。つまり、上では実際のコミュニケーションでは起こらないことがLINEによって起きているという悪い点について述べたが、ここで述べたかったのは、いかにも実際のコミュニケーションでありそうなことをそれが叶わない相手との間に実現させてしまうということだ。実際に、この一件があったせいで、過去2年ほど会っていなくて、連絡も取っていなかった当時のかなり仲の良かった友人と近々飲みに行く予定も立てることができた。そう考えると、私はこの乗っ取り犯に感謝すべきなのかもしれないという複雑な気分になる。
しかし、これは必然の原理によって考えると何ら特別なことではない。昔から、何か新しい技術革新が起きると、人々の生活が豊かになったり、便利になったりした。例えば、火が発明されたときに、人間は夜の闇に立ち向かい、調理方法に幅が広がった。一方で、放火、焼き討ちなどの犯罪が発生するようになった。車にしたって大差は無い。人々は気軽にどこへでも行ける自由を手にした。特に自動車の一般化は、女性のエンパワーメントに一役買ったと言われている。しかし一方で、交通事故や渋滞による空気汚染などの新たな問題を引き起こした。インターネット技術、医療技術などどれをとっても、完璧で利益しかもたらさないなんてものは無い。だいたい、人間が習得した言葉であっても、人を幸せにすることができるし、自殺に追いやってしまうこともある。結婚のプロポーズで感無量になり、心無い一言でどん底に突き落とされる。LINEであっても、まったくもってその例外ではない。LINEは、離れた時間、距離を超えて、気軽なおしゃべりを復活させられる一方で、現実コミュニケーションでは全くあり得ない、人を苛立たせるような会話を出現させてしまうこともある。
みなさんも一度、乗っ取られてみることで、真の人間関係が見えてくるかもしれない。