カッコウの子育ての方法は、たしか他の鳥の巣に卵を産み落としてその鳥に自分の子だと勘違いさせて育てるというものだ。 当然その鳥の本来の子は生きるチャンスを失ってしまう。

これと同じようなことが今、私の身の回りで起きていることに警鐘を鳴らそう。




それは大学院の奨学金を巡ることである。

そもそも大学院の奨学金とはどんな目的で設置されているのだろうか。

もちろんそれは明確で、字の通り学問を奨励するためのお金である。

特に大学院となるとそれが顕著だと信じる。


この考えに従うと、大学院の奨学金は学問を志す者で、かつ何等かの事情により経済的に不利をこうむっている人に使われるべきである。

特に、日本の通常の奨学金は(留学生用は除く)その性質上、自国民の学問の発展のために使われてしかるべきである。






しかし、本当にそれは学問を志すものに与えられているのだろうか。

残念ながら私の大学院では少なくともその通りではない。




例えば、ある人が就職活動をしていたとする。

しかし、学部生でも、大学院生でも、就職活動をしていることは学問を放棄する理由にはならないと私は思う。

また、経験者の立場から言うと、うまく調整すれば就職活動と学問の両立はそれほど難しいことではない。


今は面接や説明会も予約制となり、こちらから日にちを指定して申し込むことができる。

だから授業やプレゼン、テストを回避することはたやすい。

また、しっかりと自己分析をしたり頭を使って考えればある程度業界を絞り(そもそも絞りきれない者は内定をもらうことは厳しくなる)、無駄な説明会に参加することも防げる。
(まあ、私の考えでは90%以上の説明会はただの無駄だが・・・)

また、そのような事情は日本に1~2年以上住んでいれば理解できるはずである。



しかし、私の研究科には、就職活動を理由に、平気で授業を休んだり、プレゼンをスキップ(ドタキャン)したりする輩達がいる。


学問を志す場所であるはずの大学院研究科がただのモラトリム延長と就職活動へのステップに使われている。いわば、留学生のための職業訓練学校だ。(いや、訓練さえしていないか)



更に問題なのは、そういった学問へのやる気が低い連中に、日本政府や大学からの奨学金が使われているという事実である。※ここがイチバン重要


就職活動やバイトに明け暮れて、学びをろくにしていない人間に日本経済に貢献する人間としての価値があるのか?

シビアに言えば、奨学金が無駄に使われているということである。



その一方で、私の友人で勉強熱心な者は(日本人)そういった奨学金のリストから漏れている。

更に悪いことには、そのような学問をおろそかにするような連中が、一つではなく、2つ以上の奨学金に絡んでいる場合もあるのだ。




こんなことがあって良いのだろうか。


日本政府や大学は、まさにかっこうの子を育てる他の鳥のようである。


自分たちの子(学問を志す日本人)に餌をやらずに、せっせとかっこうの子(大学院を職業訓練学校としかとらえていない輩)に餌をやり続けている。


これだけは見過ごすわけにはいかないと思った。