(前略)
そこから合流して花火会場へと向かったのだが、歩き始めて10分ほどで大きな音と共に眩しい閃光が川の方向に見えた。
それは2013年、第38回江戸川花火大会が晴れて開催されたことを意味していた。
だが、私たちはそれほど悲観的にはならなかった。
なぜならば道を会場へと向かって歩いていく中で花火をやっている様子が見えたからである。
むしろ東京のいわゆる下町と呼ばれる街並みの向こうに色とりどりの花火が上がる様子は独特のシナジーを生み出し、「街+花火」という新しい江戸の景観を作り出していた。
ふと周囲を見渡すとこのあたりの住民が道に椅子や机を出したりして酒を飲みながら花火を見物しているではないか。
たしかにここから見る花火もかなり風情がある。
しかし私たちはせっかくこここまで来たのだがら更に先の会場を目指すことにした。やはり花火を見ることもそうだが、花火大会の楽しみは広大な河原に腰を下ろして夜風に吹かれて酒を見ながら談笑することにもあるのではないか。
会場へと向かう道は人でごった返している。
元々道は(花火大会でもない限りは大勢の人が通ることとは縁のなさそうな)住宅街である
。どこにでもある住宅街を抜けていくような一般的な道をまるで川でも流れているかのように人間が流れている。
ところどころには地元の人が臨時で出しているような屋台が並んで焼きそばや肉などが売られていた。
人々の中には会場までたどり着くことをあきらめ周辺の道脇に座って花火を鑑賞している人も多く見られた。
その間には左の空から花火は上がり続け夜空を様々な色に照らしている。その轟音に重なるように人々の歓声がいたるところから上がっている。
私はこれこそが夏の風物詩であると思った。人々は浴衣を着てみな楽しげな顔をしている。
ドーンドーンという音が大きくなるたびに私達の期待は更に高まった。
いたるところで警官達が流れる人々を誘導している。
彼らの案内によるとまっすぐに行ってもそこには人の渦があるだけでひたすら右に行くように指示された。
私たちは歩き続けた。
駅を出てから30分ほどは歩いたのではないだろうか。
そしてついに、ついに堤防に行きついた。
少し上ると視界はイッキに開けてそこからは何にも邪魔されることのない完璧な姿での花火を捉えることができた。
そしてその花火の光が映し出したのは、堤防に座って花火を鑑賞するおびただしい数の人の姿であった。
普段はがらんどうとしているに違いない河原を埋め尽くしていたのは人、人、人である。
まるで人口に敷き詰めたかのように見渡す限り左にも右にも人が並んでいる。
これが東京の花火大会かと思った。
しかもおそらく開始30分以上は経っているはずなのに人の流れはとだえることなく次々の河川敷に流れ込んでくる。
おおよそ良い場所は全て取られてしまっているようで私たちは仕方がなく下にゴツゴツした岩が転がっている場所に腰を降ろしたのだった。
そこから合流して花火会場へと向かったのだが、歩き始めて10分ほどで大きな音と共に眩しい閃光が川の方向に見えた。
それは2013年、第38回江戸川花火大会が晴れて開催されたことを意味していた。
だが、私たちはそれほど悲観的にはならなかった。
なぜならば道を会場へと向かって歩いていく中で花火をやっている様子が見えたからである。
むしろ東京のいわゆる下町と呼ばれる街並みの向こうに色とりどりの花火が上がる様子は独特のシナジーを生み出し、「街+花火」という新しい江戸の景観を作り出していた。
ふと周囲を見渡すとこのあたりの住民が道に椅子や机を出したりして酒を飲みながら花火を見物しているではないか。
たしかにここから見る花火もかなり風情がある。
しかし私たちはせっかくこここまで来たのだがら更に先の会場を目指すことにした。やはり花火を見ることもそうだが、花火大会の楽しみは広大な河原に腰を下ろして夜風に吹かれて酒を見ながら談笑することにもあるのではないか。
会場へと向かう道は人でごった返している。
元々道は(花火大会でもない限りは大勢の人が通ることとは縁のなさそうな)住宅街である
。どこにでもある住宅街を抜けていくような一般的な道をまるで川でも流れているかのように人間が流れている。
ところどころには地元の人が臨時で出しているような屋台が並んで焼きそばや肉などが売られていた。
人々の中には会場までたどり着くことをあきらめ周辺の道脇に座って花火を鑑賞している人も多く見られた。
その間には左の空から花火は上がり続け夜空を様々な色に照らしている。その轟音に重なるように人々の歓声がいたるところから上がっている。
私はこれこそが夏の風物詩であると思った。人々は浴衣を着てみな楽しげな顔をしている。
ドーンドーンという音が大きくなるたびに私達の期待は更に高まった。
いたるところで警官達が流れる人々を誘導している。
彼らの案内によるとまっすぐに行ってもそこには人の渦があるだけでひたすら右に行くように指示された。
私たちは歩き続けた。
駅を出てから30分ほどは歩いたのではないだろうか。
そしてついに、ついに堤防に行きついた。
少し上ると視界はイッキに開けてそこからは何にも邪魔されることのない完璧な姿での花火を捉えることができた。
そしてその花火の光が映し出したのは、堤防に座って花火を鑑賞するおびただしい数の人の姿であった。
普段はがらんどうとしているに違いない河原を埋め尽くしていたのは人、人、人である。
まるで人口に敷き詰めたかのように見渡す限り左にも右にも人が並んでいる。
これが東京の花火大会かと思った。
しかもおそらく開始30分以上は経っているはずなのに人の流れはとだえることなく次々の河川敷に流れ込んでくる。
おおよそ良い場所は全て取られてしまっているようで私たちは仕方がなく下にゴツゴツした岩が転がっている場所に腰を降ろしたのだった。