私は今日だけはぎゅうぎゅう詰めの列車に悩まされることなく、駅構内をつっきって東口へと向かった。

池袋駅を夜歩くという行為は幸せそのものだった。

何か「OOだから楽しい」という理由がある楽しさではない。

つまり、感覚的、視覚的な楽しみがそれなのだ。

旅行先で何も知らない町を歩く楽しみはこの類だろう、車で田舎道をドライブするのもこの類だろう。

つまり明確な理由はないのだが、ただただ楽しい気分になってくるというものごとがある。

私のとって今日のそれは夜の池袋の町を歩くことなのだ。

東口を出るともうそこには都会の夜が広がっている。


しかし、私はこの川を逆流していることになる。

今、川は完全に池袋駅の方面へ向かって流れている、そしてどの顔もみな幸せそうだった。

彼女と手をつなぎながら歩いてくる男性、女子会終わりでにぎやかな雰囲気を保ったまま笑顔で歩く女子大生・・・

彼らはこれから混んだ電車に乗って家に帰らなければならないが私は今日、池袋に冷房の効いた涼しい部屋があるのだ。

200メートルほど行くともうここがどこの町なのかわからなくなるほど静まったエリアに出た。道の端には木が植えられていて、道端にあるファミマやドトールも少し趣向を凝らしたおしゃれな雰囲気のものとなっている。


ふと立ち止まって左の空を眺めればまるで私を見下ろすように池袋サンシャインシティのプリンスホテルと69が見下ろしてくる。

ここでも圧倒的な都会の力を見せ付けられる。

その手前には立体として宙に浮いている首都高速道路が、そこを行きかう車たちによって轟音をとどろかせつつ微動している。

町のどの部分を切り取ってもやはり東京と感じざるを得ない光景だった。


12時前にホテルにチェックインして部屋い入り椅子に腰を下ろすと今日17時までイビデンで仕事していたことが信じられなかった。

今日会社でやっていたことより、明らかにそれを終えてからのことのほうが価値があり、鮮明である。

新幹線に乗って、東京と再開し、金崎と飲んで、また夜の街とたわむれて今に至っている。



しかし、本当の自由はこれから始まるのだということを私は身をもって体験した。

実家にいるときはいったん家に帰ったらそのまま家の中で過ごすことがほとんどだ。

それで事足りてしまうからだ。

しかし、東京にいるときは違った。

いったん家に帰っても、寮の友人たちと酒を飲むために酒を買いに行ったり、ちょっとお腹が空いたからとかいってコンビにや西友に行ったり、冬だとコートいっちょ羽織って自由自在に移動した。


この間、時間にすると短い時間だったが、友人と他愛も無い話をしたり、済んだ空を眺めたりしながら歩くのが好きだった。

この時間自体に意味はないのだが、無くてはならない時間、心が落ち着く時間、そんなものを楽しんでいた。

私は今日、またそれを手に入れること、取り戻すことに成功したのだ。

少しだけ酒に酔った状態だったが、新幹線で弁当を口にして依頼何も食べていなかったのでお腹が減ってファミマへ向かった。

夜の品出し作業中だったが、ほかにもお客さんは数人いた。

そこまで歩いていく道のりにさえウキウキした気分を隠せずに、「こんなふうに夜の道を自由に歩ける自分が好き」という境地にまで至っていた。

そんな浮かれた気分に乗せられて久しぶりにタバコを買って外に出ると深く煙を吸い込んだ。


ゆっくりと吐き出すとちょうど斜め上に見えていたサンシャイン69方向に煙が向かい、まるで雲がかったように見えた、これも都会が織り成す演出だと思った。





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