旅行といったら観光と考えるかもしれない。
しかし、インドでは観光はむしろマイノリティに追いやられた。
そう、今までは観光をしなくても充実していて知的好奇心を満たすことができた。
そんな私たちに許されたデリーでの猶予はたった一日。
しかも到着早々なにやら先生が改まってお話があるとか何とか。
それによると、ちょうど今日、デリーの高等裁判所にて爆破テロが発生したらしくて10人以上が死亡するに至ったという。
よりによってテロか、どんだけついてないねん。
これに従って連続テロが発生する可能性を捨てきれないために、ラールキラーなどの有名観光名所に行くことができなくなってしまい、オーリドデリー観光は幻想と化してしまった。
テンションが下がった私たちはその勢いを発散させるかのようにドルを大量に両替した。
ひどい人になると、100ドルくらいを両替してしまい若干後悔するという「ルピーバブル」が発生した。
(実際にルビーの価値はふくれあがってはいない笑)
そしてすぐホテルというかゲストハウスに向かうために3つの班(ホームステイノグループ)に分かれた。
タクシーといってもとてもボロボロのバンのような車で30年以上使われてきた年季を感じさせる。
私の車には先生が乗ってくれたのでいろいろとスムーズにいった。
道のりはひたすら大きな幹線道路を走るあまり面白みのないコースであった。
とにかく交通量が多くて渋滞がひどい。
中国と似ていたが表示が英語だったために、まだイライラはつのらない。
しかし、渋滞といっても想像していたものよりもマシだった。
空港からだいたい50分ほどでゲストハウスに着くことができた。
そこでちょっとしたサプライズが。
なんと日本人のオーナーの方が出迎えてくれたのだ。
しかもおばあさんなのに髪の毛が1センチほどしか生えていなくてお笑いに出てきそうな外観をしていた。
彼女はゲストハウスの経営者らしい。
というかそのゲストハウスが日本人によって経営されているなんて全く知らなかった。
先生は大事な情報を後出しにして生徒をびっくりさせることが好きなようだ。
もう一人、ワンちゃんもお出迎えに加わってくれた、ホフホフ。
絶対日本犬だと思ったが、インドの犬らしい、やはり長年飼われていると飼い主に似てくるのだろう。
そのおばさんは15年くらいデリーに住んでいるらしい。
20年くらい大学職員を務めてきたがそのぬるま湯のような職場に飽き飽きして何か別の刺激を求めてインドに来たらしい。
まさかインドで大学職員批判の話をされるとは夢にも思わなかった。
私も将来インドでゲストハウスを経営しているかもしれないと、真剣に思った。
私たちの車は一番早く到着した組だったが、それからなかなか他のグループが続かなかった。
そして、遅れること2,30分。
やっと2番目の班が到着した。
ちょっと早く到着してウェルカムドリンクをいただきながらくつろいでいた私は得をしたことになる。
タクシーの運転手といえどもデリー広し。
しかもデリーのタクシー運転手は日本のそれについているようなカーナビや地図など高級は設備を持ち合わせていなかったので迷ってしまうのは当然であろう。
先生が同様してくれたことは幸運だった。
ここでメンバーのテンションが上がったことは一目瞭然であった。
それはそのゲストハウスの設備がよかったからだ。
まず何より清潔なフロアにアリなどの虫がいないという事。
というかなぜかIRMAではいたるところにアリがいてその踏殺数は単独でも30を軽く超えている。
しかもサイズが大きすぎてもはやアリを見ているような気がしない。
何か変なクモのような虫と相対しているようだ。
だから、潰すときも明らかな感覚が足に伝わってくる。
それはクランベリーなどの小さな実を潰したときに出る「プチッ」という音と同じだ。
部屋の中でもこの感動は続く。
まず、用意されているタオルの数がとても多くてドライヤーまで用意されていた。
そう、インドに来てからドライヤーを買おう買おうと思っていたのだがなかなかそのチャンスに恵まれなくて結局1週間以上に渡ってドライヤーなしの生活を送ることになったのだがさして不自由をすることは無かった。
これでやっと髪をセットしていい男になれる笑
しかしまあ日本にいるときはいろいろと不安なことばかり想定してしまう。
「何々が無くて困ったらどうしよう」とか「インドで下痢をしないことなんてあり得るのだろうか」とか。
しかし、案外何とかなってしまうのが旅行というものだ。
今回それが良く分かった。
この現地の生活に適応していくのも長期旅行の楽しみだと言えるだろう。
その夜はインドに来てから初めて高級なレストランへ入った。
そこで何を飲んだかはここでは言えないが、それを飲むと少し頭が痺れて気分が高揚した。
私は何を頼んだのかというと、英国紳士らしく「フィッシュアンドチップス」。
イギリス帰りだとこれが食べたくなるんだよねえ~。
しかし、TAの方はその責任からその飲み物を全く飲まなかったので偉い。
(彼女は、金曜日の報告会の後、その飲み物を大いに飲むって言ってた・・ と思う。)
レストランでフィーバーした後は、リクシャと呼ばれるオート3輪の縮小版のような乗り物で帰った。
湿気を浴びた夜風を切りながらインドの喧騒の中を走り抜けていくのは爽快だった。
ゲストハウスに戻ってもみんなは上機嫌で談笑している。
あー、本当にインドに来てよかった、素晴らしい仲間にも会えたし
俺の学生生活これで満足・・・・・
ゴゴゴゴゴゴゴゴ・・・・
一同 「うおおおおお」
余韻に浸っている私たちを襲ったのは、地震であった。
地震といっても、地震慣れしている日本人にとっては蚊に刺されたくらいの感じだ。
しかし、テレビはどこをつけても地震のことしかやっていないという状況。
日本だったらお笑いやっている上に小さい字で震度が出てくるだけなのに・・・
ここでもお国事情の違いを目の当たりにするのでした。
次回はいよいよ「デリー観光」です。
引っ張ってごめんなさい