翌朝、今日はいよいよ私の発表のテーマの本命である学校を訪問する日である。


しかし、まず私たちは本来泊まる予定であったゲストハウス(寺院)で食事を頂くことになった。


それを見てその設備に愕然とした。


まず、部屋がふきぬけのようになっており外と部屋を隔てるものが一見なかった。


また、もし泊まるとしても男子が全員一緒に泊まらなければならないというシナリオだった。




そこで食事もしたのだが、その食事はインドの中でも最悪だったといわざるを得ないだろう。


だいたい10種類くらい取って食べられるものが3~4種類しかない。


あとは、無理して押し込むかゴミ箱行きであった。


これが信じられないくらいまずい。



水周りの設備を見ても、とてもここが人を泊める場所とは思えないほどに汚くて、もちろんシャワーもなかった。


ゲストハウスのシャワーは水のシャワーだったが、それなりに水流なあったし、下からお湯もでたので寺院比べらば天と地の差であろう。




このころからメンバーの仲に元気がなくなるもの、体調が悪くなるものが出始めた。


最初はあらけんの腹が痛くなり、あやかちゃんの腹が痛くなった。


みんなから脱落するほどではないが、ゆりちゃんもお腹が痛いと言っていた気がする。


やはり普通はこんなタイトなスケジュールを日本でこなすことはない。




そして私が一番の誤算だったのは、湿気である。


学生達を一番苦しめているのはこの湿気に違いないのだ。 





ゲストハウスを後にしてだいたい30分ほど走ると学校が見えてくる。


いよいよインドの学校に入ることができるのだ。


まず、中学校1年生のクラスに案内されて歌を聞く。


よく練習してあったようで、それは20分以上続いた。


そこからは3つのグループに分かれての調査に入る。


私は迷いも無く最終学年を見学したいと申し出た。


最終学年は、大学や社会とつながる学年である。


そこにいる生徒を知ることで教育についてだけでなく、インドの産業や社会についても断片的に知ることができる。


最終学年の生徒はかなり大人びて見えた。


彼らはとてもウェルカミングな雰囲気でこちらが質問をする前から日本のことについて様々な質問をなげかけてきたし、授業中も私をわざわざ真ん中の席に案内して授業を聞かせてくれた。


何かとても暖かい雰囲気を感じる。


授業に 「潜る」 



休憩の時間の時にはノートを渡してきてサインをしてくれだとか、一緒に写真を撮ろうだとかとにかく絡んでくるのである。


休み時間も日本の高校のようにお葬式のように静かになったりはしない。


みんなしゃべりだすか他の教室へ出て行くかである。(もちろんその時は私たちのところに寄ってきたのだが


)あ~疲れたといって机に突っ伏して寝るような人もいない。


それに、外国人を怖がっている様子も感じられないのだ。


他の教室の前を通るときは視線を投げ掛け、手を振ってくれる。


だいたい日本で同じことをやれば高校生などそんなにフレンドリーに話しかけないし(そもそも英語をしゃべろうともしない)何か避けるような感じになるのではないだろうか。


向こうの子供は言葉が通じようが通じまいが気にせずドンドンしゃべりかけてくる。 





授業自体もかなり活発だった。


会計学という難しい学問を勉強しているのに加えて、生徒からの発言も活発に飛び出してくる。


集中していない学生は少なくて、みんなが食い入るように黒板を見つめ先生が当てる前から発言している。





そんな授業のあとは練習の成果を見せるときである。


そう、ソーラン節を踊るのだ。


部屋に案内されてそこで着替えることに。


私の中日のユニフォームはおおいにウケた。


やはり「みんなと一味ちがう」とういことはプラスになりそうだ。


特にハンドメイドがすでに廃れて全てが機械化された日本においてはむしろ適当なハンドメイドがうけるという次代に突入しているのだ。



そうして盛り上がっていると準備ができたということで外へでる・・・・


 多!!! 


校庭を取り囲むようにズラっと子供達が座っている。


軽く500人は越えるだろうか、しっかりとあぐらをかいてこちらを見ている。


やばいな、こんな大規模な発表会の前であのソーラン節(適当)を披露してようのだろうか、てかどんな反応をするのだろうと思っているといよいよ出撃だ。


私たちは何かふっきれたような気がした。


そこからは普段より大きめの動きで踊り、大きな声で歌った。


インドまで来て何やってんだという気持ちと、幸福な高揚感に包まれた。


当日の朝、ホテルでソーラン節の練習に励む



この高揚感はあれ以来だ。


ピアノの発表会。


グループ発表会のほうでは大勢のオーディエンスの前で10人くらいで発表しなければならなかった。


私はあの瞬間が嫌いではなかった。


自分がやっていることはそれほど困難なことではなく、一人でやってもあまり価値が無い。


しかし、どうだろう。


これを集団でやるとイッキに美しい何かへと変わるのだ。


自分がその一翼を務めている責任感、また大衆に囲まれつつも、自分はグループの仲の一員だという安心感。


この二つがまざって独特の感情を発生させてくれる。





調子にのってつい足をいつもより深い位置にまで下げると痛みが走った。


とうとう足にきたのだ。


だからみんなよりも若干高い位置で足を動かしていた。


途中からどこからともなく手拍子が聞こえ出した。


あれ、ソーラン節はたしか手拍子なしだったはずだぞと思いつつもノリにあわせることにした。


インドで日本の歌が響いてそれで人々の心を動かすことができたのだ。




そもそも、大都市から離れたティントダ村でソーラン節なんて想像できるだろうか。


ここに一つのエピソードができたと思った。


 学校を後にするときは予想どおり子供達に取り囲まれる。


ここでも好奇心旺盛に話しかけてきて写真を撮ろうとしたらみんな寄ってくる。


つくづくインドの子供達は元気だと思った。






しかし、同時に学校を訪問するということは体力を使うことである。


バスに戻ったときにはみんなへばっていた。


そこで先生もそれを気遣ってかいったんホテルに戻って食事することになった。


このレストランにも来てからずいぶんとお世話になっていると思う。


予想外のメニューを出してきたり、注文より多くの皿を持ってきたりいろいろと悪事は尽きないが空調が入っていることや衛生面がいいことなどは評価できる。


腹の調子が悪くなったあらけんを残してレストランで食事した。



レストランで食事。 中華がおいしかった!



そして今日はかなりハードな一日である。


寺院、学校、パンチャヤト、村長の家という4つもの場所を網羅しなくてはならないのだ。


そして次に向かったのはパンチャヤトである。


これは言ってみれば村役場のような役割を果たしている。


しかしいや、こっけいだ。日本人がいきなりインドの小さな村に押しかけて自発的ではないインタビューを繰り返している。


いや、自発的かもしれないが、それは授業の枠によって守られている。 


授業というシールドに守られた「こちら側」 と、インドのリアルという「あちら側」が交わっている。



今、私は異次元に生きているのだ。




次回は、「担当教員の魅力」

について書こうと思います。

WAVOC助教授 「才色兼備」 秋吉恵 先生