一行は村へ移動した。
ここはアーメダバードから1時間ほど行ったところのティントダ村という村である。
ここでは実際に家や農場を訪問して調査を行うのだ。
今日の朝はとても快適に目覚めることができた。
昨日と比べて格段に涼しかった。
また、寝る場所を変えたこともよく寝ることができた原因になった。
ここで感じた私の寝にくい環境とは、ダブルベッドである。
相手が誰であれ何か気になってしまう。
だから、肩のあたりが突っ張る感じがするのだ。
そこで考えた作戦が、「床睡眠」。
今回の床は大理石のように固かったが、厚手の掛け布団を2枚使って何とか解決することができた。
何かこの旅行では自分の限界というものを超えている気がする。
それは、睡眠時間が短いのに日中に全く疲れを感じないのだ。
日本にいると自分のアパートで何もしていないのに疲れて昼寝してしまったりするのに、今回はむしろやる気さえ出てくる。
ここに2つの仮説を立てることができる。なぜ、私は疲れないのか。
1、心の準備ができていること。
インドに行くことは自分にとってもとても大きな決断だった、しかもあまり知らない人と一緒にずっと行動するという自分がかつてしたことのない経験を伴っていた。
だから行く前に何度も自分の決意を確認するとともに、確実に休息期間を設けて心の準備もした。
だから心身ともにインドにむけの準備が進んでいたのだろう。
2、特別な力がわいてくる
旅行へ行くときはいつもそうなのだが、何か不思議な力に助けられている気がしてならない。
いつもより短い睡眠時間で生活できるようになるし、日中に眠いと感じることが少ない。
これはやはり旅行という行為が好きなのもあるだろうし、今回の場合は同じ仲間に自分という人間を試されている側面もあるので疲れないように体が自然に対応しているのだろう。
村へ向かうのは今日が2回目だ。
今日は15人乗りのジープにぎゅうぎゅう詰めになって村まで行った。
村は非常にジメジメしていたというのもこの時期はインドにおける雨季(日本の梅雨)にあたり、いつ雨が降ってもおかしくない状態にあるのだ。
特に入り口のところには大きな水溜りができて不快感がマックスだった。
そして、地面に降り立ってみると湿気と熱気の組み合わさった空気が襲ってくる。
しかし、今日これをかわす術はないのだ。
全日程の中で一番キツいと言われる今日は朝から晩までずっと農村の家庭を訪問してインタビューをするというホームステイの日なのだ。
私は覚悟した。
吹き出る汗、汚れる靴、蚊に刺された手はすべて自分を強く、タフにしてくれるんだと。
相変わらず村長とその奥さんは優しく私たちを迎えてくれた。
インド人の女性の笑顔(特に年を取った人)は本当に美しいと思う。
まず集落長に井戸の仕組みなどを質問した後に、娘さんに教育系のインタビューを行った。
娘さんはまだ12歳くらいだが、とても頭のよい印象を受ける。
将来の夢を聞くとエンジニアと答えた。
インドで将来の夢について聞くと「エンジニア、医者、法律家、先生」という答えがとても多い気がする。
特にドクターになりたいという人は男の子に多い。
日本だと、スポーツ選手や歌手、パイロットという夢が多いので文化の違いを感じさせられる。
これはやはり発展の度合いによる違いだと思う。
というのも、そもそもスポーツ選手になりたいと思うためには、スポーツを見られる環境がなければいけないからだ。
その後は車で10分ほどの畑へ案内された。
ここでは商用植物を育てているらしくて、井戸や脱穀機についての説明を受けた。
印象的だったのは、日本の農村では絶対に見られないようなくじゃくやリスがいたことである。
インドにはリスが多いと思った。
また、のどかな田園風景の中を長い尾を引いてくじゃくが飛んでいく様子は優雅そのものであった。
この村で井戸を持っているということは相当金持ちの部類に入るらしい。
村でも6つしかない井戸を持っている村長は使わないときには金を取って人に貸しているという。
その後、多くの水牛を飼っている農場を見学してから家に戻った。
人々を見ていて思うのは、時計を持っている人がほとんどいないということである。
日本だとすべての行動は時間ありきで決まっていく。
そんな時間に縛られない彼らの生活の良さに気付いた。
そして村長の家にはいつも大勢の人が集まっている。
子供達、大人達。
彼らは何かの用事があって来ているのではなさそうでぶらぶらやってきたという感じだ。
日本ならば何もないのに人の家にいくということはまずしないし、これほどいつも他人がいたらうっとうしくて仕方が無いだろう。
だいたい敷居がすごく低いと思った。
玄関がないし、家へのドアはいつも開いている。
何か調査しているというより、彼らと生活を共にしているという印象を受ける。
インド人がどのように生きているのかがこれほどの至近距離でみることが出来るとは全くなんと貴重なのだろうか。
でもやはり男は外で仕事をして、女は中で家関係の仕事をするというのは万国共通の現象であるようだ。
女性の仕事といえばチャパティーを作ること、皿を洗うこと、家の中の掃除をすることが中心だった。
男性は村では農業、商店経営、リクシャワーラー、政治などを行っている。
つまり典型的な人間社会の縮図を見た気がする。
彼らが六本木や大手町をスーツを着て歩く日本人女性を見たら何というだろうか。
また、これを目にした日本人は彼らのことを見下すことができるのだろうか、いやそんなことできるはずがない。
人間はそれぞれ別の人生を生きている。
「カーストにおける差別は存在しない、彼らの生きている世界は混じることがないのだから。」
この言葉はインド、いや世界を象徴している言葉かもしれない。
混じることがないのだから、互いのことを本当に「知る」ことはできないのだ。
そんな農村の暮らしに思いをはせていると他のグループの人たちが帰ってきた。
そこでいろいろと意見交換をして昼食となった。
ここではホンモノのインド料理を頂くことができた。
カレーは数限りなく食べてきたが、今日はいよいよ初めて手で食べるときが来た。
大皿が用意されてそこにカレーのルーとライスが盛られた。
手を伸ばして食べるが意外に熱い。
あっちっちと食べているとなんだか食事自体が加速されて結局2皿を平らげる結果となった。
これがインド人の日常だなあと思った。
インドはカレーが有名と聞いて、日本の寿司くらいだろうと考えていた時期もあったが、本当にふつうらしい。
というのも、今までずっと旅行していたがカレー意外のものを食べたのはティントーダ近郊のホテルの中華料理(笑)くらいである。
街で人々が食事をしているところをバスから見かけることがあるが、ほぼ100%カレーを食べている。
食事後は近くの畑に行って収穫の様子を見せてもらったりした。
私たちにとっては一日中これをやることは飽きると思うが彼らには大切な仕事だからそんなことも言っていられないのだろう。
そして作っている作物がまたスグレモノらしくて、一度収穫期を迎えると5日ごとに実が成って収穫ができるらしい。
それが3ヶ月くらい続く(らしい)のだ。
結局その日は湿気が高くて不快指数マックスだったが何とか最後まで凌ぐことができた
。やはり人はやればできるものだと思った。
疲れてホテルに帰ってもいつもの反省会が待っている。
こういう反省会を繰り返しているとやはりこれが旅行ではなくて大学の授業なんだということに気付かされる。
反省会はいつも食事の前に先生の部屋で行われる。
先生の部屋だけにはエアコンが入っているのだ。
しかし、基本みんな疲れているし、日本人なので活発に意見が出てどんどんディスカッションが進んでいくというよりは、一人ずつ報告していってそれが淡々と進んでいくという感じである。
これがまた長くて1時間は続く。
みんなもはじめこそは集中しているが、半分を過ぎたあたりから集中力が切れ始め、最後には誰も聞いていなくてはやく終われはやく終われと思い続けることも珍しくない。
そんな俺達の大学生としての楽しみはやはり部屋に帰ってからのトークであろう。
ここだけは、あれだ、修学旅行に来た学生のように部屋で騒いだり、深い話をしたり、女の話をしたりするものなのだ。
ティントダ村に滞在している間、俺はホテルでつよしと一緒だった。
彼とは最初から何か似たようなものを感じていたが、それは話せば話すほど確信へと代わっていった。
特に共感したのは、悩みについてだ。そんな彼には優しさと落ち着きと、深みが内在している。
その相手を包み込むような優しさもある程度の困難を克服してきたからなのだろう。
彼とは2日間寝る前にいろんな話をした。
この授業を取っている女子についてどう思うかとか、インドへ行こうと思った理由とか。
彼とならば夜を徹して話し込む自信があった。
しかし、この実習は我々にそうすることを許さなかった。
第一にスケジュールがタイトであり、一日5,6時間は最低寝ないと次の日のパフォーマンスに支障をきたしてしまうのだ。
そして、床は毛布2枚を敷いているとはいえタイルの床である。
だいたい1時間ほどは寝付けないのである。
パソコンの調子が悪く写真を貼れません、フェイスブックで見てね。