(インド実習記より抜粋)



厳密に言うと私が今書いているのは旅行記ではない。


これは「実習」だ。


だからただの旅行と違うのだ。




そもそも今回私がこの授業を取ることになった経緯を説明しよう。


はじめはこの授業を取るつもりは全く無かった。


しかし、第一次登録の後に教職を続けることができないと判明した。(それまでは教員免許の取得を目指していたのだ)



そのまま教職関連の授業をとっても単位にならないし、第一面白くないので授業を変えることにした。


そこで私は始めてオープン科目まで足を伸ばして選択したわけだ。


そう、今まで留学やら教職やらで早稲田の授業のバリエーションを享受できていなかったということだ。




シラバスを見ているともう面白そうな授業は残っていなかった。


う~ん、困ったなあこのまま適当に選んで2単位分を埋めるのはありだったがそれでは残り一年間しかないという大学生生活を無駄に終える気がしてならなかった。


あと2単位何にしようか・・・丸一日悩んで再びシラバスを検索してみるとなにやら変な名前の科目があった。



「白い革命・・・・」革命?


revolutionとはどういうことか、純粋に興味を持って開いてみた。


するとそれがまず夏季に実習がある科目だと言うことが判明した。


ああ、早稲田にもそういう授業あったなあ~と思い出す。


友人で何人か東南アジアの国にこういった授業を使って行っていた人がいたことも思い出す。



私も興味がなかったわけではない。


そういった、何というか大学生同士で海外(主に途上国)に行って研修したりするのはとても楽しそうでうらやましかったのだ。




しかし、それまでは自分に自信が持てずにいつも断念していた。



「友達ができるかどうか心配」とか「体調を崩さないかどうか不安」である。


つまり、こういったものと向き合うときはいつもリスクばかりに目が行ってしまったのだ。





しかし、そんな古い私は今回はいなかった。


その代わり留学で生まれ変わった新しい自分がこの授業を取る事を薦めてきたわけだ。


「学生最後のチャンスだぞ、お前そのまま卒業していいのか!?お前は本質的なチャレンジを避けているんじゃないのか」と。



私には図星だった。



留学先でも肝心なところは向き合ったり逃げたり。だから最後くらいは向き合いたかった、本気で頑張る自分を見てみたかった。




そうだ、これだ!


今この瞬間にひらめいた、人はなぜ「そうしなければならない」という理由なしで頑張ることができるのか、チャレンジを続けることができるのか。




それは私が思うに、映画やドラマを見たい理由と似ている気がする。


誰かや何かが頑張っているシーンを見るのはすがすがしい。


ヒーローなどが頑張っている姿を見るといい気分になれる。


そう、こんな感じで多分私たちは自分が本気で頑張っているところを自分が見たいのだ。





この理論は今までの自分の一見理解不能な行動の理由を説明してくれる。


それは「がんばっている自分が見たい、その先にある景色を見たい」ということに尽きる。


だから無理してケニアへ行った理由も、もちろん野生動物を見たいとか、アフリカの暮らしを体験したいという純粋なexperience目的もあるかもしれないが、それよりも今までない未知で困難な状況に挑戦している自分を見たい、そんな自分に酔いしれたいという理由かもしれない。



この前、中国旅行から帰った後に、無理してでもサークルの合宿へ参加しようとしたのは、自分に「タフな自分」を見せ付けてやりたかったのかもしれない。





見せてどうする? 



それが確信に変われば自分に自信をつけることができる。


俺はタフだ、そうそう疲れない、何だって出来るんだと。



頑張った自分を見た自分は満足する、かけがえの無い、何にも取って変えることのできない満足感なのだ。


映画のように、映画館を出たら終わりではない。


ずっと続く、人にはわからないけど自分だけがいつでも味わうことのできる恍惚な満足感。



それを求めているに違いない。


しかも、これは一種の中毒があるのだと思う。


一度挑戦して達成して、頑張った自分を見ることができると更に頑張っている自分が見たくなる。



結果的に更に困難でレベルの高いチャレンジをする。


これの繰り返しだと考えていい。


私がこの「挑戦中毒」にかかりはじめたのはいつのことだろう。


それは中学校まで時間をさかのぼることで見つかる答えかもしれない。


私は中学一年生の時に学級長に立候補してその仕事をやり遂げた。


それは私にチャレンジする喜びと達成感を与えてくれたのだ。


以来、学習委員長、ユタ研修、早稲田大学受験など様々なハードルを自分に課してそれを達成することにひたすら喜びを見出してきたのだ。




それは、個々それぞれをどうしても達成したかったと言うよりは何かにチャレンジしてそれを達成したいという欲望が生んだ結果なのだろう、



たまたまそれぞれの事象に縁があったのだと思う。



ユタ研修は親が薦めて友達も行くということだったし、学習委員長は生徒会長に立候補して落ちた結果である。



しかしだ、大学に入ってからは俺は特に1年生、2年生の前半にかけてリゾートバイトを除いては大きなチャレンジをしてこなかった。




そんな俺は就職活動では「私はチャレンジ精神のある人間です。今までの人生はチャレンジの連続でした」と言っていた。



確かにチャレンジ精神があることは嘘でないのだが、何か煮え切らないものを感じた。


これでいいのか。





そんな時、ちょうど科目登録を迎えたわけだ。


私はこのインド実習に「自分劇場」を実現することをそこに誓ったわけだ。





しかし、この授業実は夏季科目でありながら春学期にも通常の講義があるというパターンだった。


しばらくして電話で面接があった。声を聞いて先生はずいぶん若いなと思った、だいたい40~45歳くらいか。



そして、いよいよ初顔合わせの時間がやって来た。


人数は11人。印象は想像通りだった。


まずちゃらい面子はいないだおろうというのが私の予想だった。


アメリカやイギリスへの語学研修は(半分恋愛目当ての)ちゃらい奴らで埋め尽くされている感が否定できないが、今回の人々は真面目そうだった。



男性も女性も。(1名若干違うが・・・)




それ以来この授業は私が最も力を入れて取り組む授業となった。


メンバーとの関係もとても良好だった。


というのも夏休みに10日間を共にするので仲間というのは非常に重要な要素となってくるわけだ。


だからみんな良好な関係を維持しようとするからそれは実現する。


早稲田生が意図的に良好な人間関係を作ろうと思ったらそれはたやすいことだと私は思う。


少なくとも表面上は。


(内面まで分かり合える関係を作るのは現地に行ってからである。)





まだ自分の授業に余裕のあるうちは勉強の2本柱を「ゼミ、インド」に絞った。


私は自分で本を読み、小説を読み、気分を高めていった。


誰よりも勉強してインドに詳しくなって、万全の状態で出発しようと思ったのだ。


しかし、この目論見はそんなに長くは続かなかった。やはりフル単というのは私に重くのしかかってくる。



各授業のレポート、単位が重なってくるようになると勉強時間を自由に、バイキングのように確保することは難しくなった。


そこに更に追い討ちをかけたのは留学アドバイザーの活動だ。


前期はタイムズ出版と相談WEEKがあった。それでも他の人よりは一歩だけリードした勉強は続けたつもりだ。



そして私は結果的にインドの教育を中心に研究をすることになった。


なぜ教育? 教育学部を中退した私の決断にしては意外に思われた方も多いかもしれない。


それは、私が「教育」そのものを嫌いだったからではないということに尽きる。


ただ、「教育」と名のついたあの学部の勉強環境が嫌いだっただけだ。


むしろ教育について勉強することは好きである。



「歴史を知ることはその国を知ることであり、教育を知ることはその国民を知ることである」



という言葉の通り教育を勉強することは国際理解には欠かせない。(ちなみにこの言葉はシェルボーイの言葉だ(笑)





班員は2,3年生の女の子だったので必然的に私が班長を務めることになる。


班長という響きが懐かしい。


大学に入学してから何かのリーダーをやることなんて滅多になかった。





そして、月日は流れて8月29日を迎えたわけだ。



メンバーは仲良くなったか、答えはイエスであり、ノーである。




何せ授業とその後の食事以外に交流する時間がないため、ある程度までは親しくなるものの、それ以上(例えば一緒に飲みに行く、遊びに行く)という具合にはいかない。


しかし、ここでまたこの微妙な距離感は旅の楽しみ、期待感、不安を増幅させる要素となる。


もし気心が知れた仲間同士ならば不安は減るだろうが、期待感、ワクワク感はなぜか少なくなる。


しかし、あまり知らない人との場合、不安だが何が起きるんだろうか、どんな会話をすることになるんだろうか などというドキドキを持つことができる。


今回はちょうどその中間と言っていいと思う。


 前日に軽く打ち合わせを行ってソーラン節などを練習したり、もう一度現地で行う活動などを整理した。直前に行うことはなかなか意味のある行為であったと思う。


それにより、「いよいよインドに行くんだ」という気持ちが膨らみ、自分に気合を入れることができきたのだから。


だからこのように何かの直前にミーティングを行うことは大事なのだ。(多分社会人になってからも)




ソーラン節のみんなのできていいない具合はひどかったので私はその練習に付き合わずに早々と帰った。


まだ準備が終わっていなかっかったから早く終わらせたいというのが本心だった。


それから入念に準備を行った。


毎回私はどんなことに関しても準備を完璧にして、計画をしっかり立ててから臨むというのが勝ちパターンになっている。


面接でも旅行でも試合でもそうだ。


そうやって万全の準備をしたときは大抵成功するかもしくは、準備しすぎだというくらい簡単に感じるのである。


特に旅行やデートでは準備を怠ってはいけない。


だから今回も一つ一つ確かめて自分を落ち着かせていった。


部屋もきれいにした。


そして部屋を出てホテルに着いたときにはもう8時を過ぎていた。


母(お見送りに来た)と合流し食事をして風呂に入って眠りについたのは1時30分くらいだったと思う。


まあ、明日は飛行機による移動だけだからいいだろうと思った。




次回は、インドに着いてからの旅行記をアップします。