次の日の市内観光はかなり疲労が残っていた。
やはりパオでは熟睡はできていなかたということだろう。
チベット仏教の寺をいくつかまわったが、観光中に寝てしまわないことに一生懸命であった。ここで思ったのだが、いつものまいける達と行う市内観光に比べてあまり面白くない。
理由は3つ挙げられると思う。
1、観光のペースなどを完全にツアー側にコントロールされていること。
これは中国という土地柄仕方がないことなのだが、どこへ行くにもタクシーで連れられていって、観光しているときも自由にはならない。
ヨーロッパの観光では自分で地球の歩き方を見ながらどの電車を使ったら早いとか、この観光地に行ってみたい、いや俺は違うほうがいいと思うとその場その場で考えながら行動していた。
一見面倒くさそうに見えるこの作業が実はとても楽しいものだったということに今気付いた。
マイケルたちと「じゃあ、明日はここ行きますか」「チケット学生割引つかねーのかよ」などと会話しながら行くのが楽しかった。
今思い返せばこれほど貴重な時間はなかった気がする。
2、暑さ
ヨーロッパ観光は寒い、もしくは涼しいうちに行われた。
だから体力の消費も少なかったし、汗をかくことも少なかった。(エジプトを除いては、でもエジプトでは尋常ではない暑さを体験できたという意味で貴重だった。)
一方中国ではフフホト、西安ともに30度を越して暑い。常にねっちょりした汗と戦わねばならない。
3、メンバー
誰と一緒に旅行するかは一番大事な要素といっても過言ではない。
むしろ観光地がどうのこうのというよりも途中の場所でこんなことをして楽しかったというほうが思い出として残りやすい。
例えばスペイン旅行のときにまいけるとみのるでトレドへ行って山道を延々と歩いたことは今でも鮮明に覚えている。
くだらない話とギャグをいいながら歩いた貴重な時間はビデオカメラの中にしっかりと残っている。
今回は父との旅行である。
相手としては悪くないし、一緒に旅行できてとてもよかったとさえ思っている。
しかし、恋バナやぶっちゃけた話はどうしても世代の壁を感じさせるし、何より学生言葉が通じないのはさびしい。
寺を回ってからすぐ昼食となった。
中国人曰く、大量の食べきれないほどの料理を出すことは友人、旅人をもてなすという中国ならではの文化らしい。
足らないことはタブーなのだ。
だから今回の昼食も8皿の料理が並びさらに2皿注文したのでとても食べきれないほどの料理がならんだ。
今回の料理は相当おいしかった。
なかでも一番だったのは、きゅうりと豚肉をいためたものだ。
なんとなく、実家で食べる「茄子と胡瓜の炒め物」を思い出す味つけだった。
そして例のごとく半分くらいのこして昼食は終わった。
午後の観光では内モンゴル博物館へ行った。
この博物館は2007年にオープンして設備、見た目ともに最高のものだった。
フフホトの町に来るときにやたらと芸術的な建物を見つけてこれは何だろうと思っていたところ博物館だった。
そこではモンゴルの歴史を説明していたが、ところどころで現れるジオラマがやたらとリアルで人々のひげ、皺までが鮮明に再現されていて、これはひょっとすると日本製品なのではないかと思わせるほどだ。
しかし、そんな完璧な博物館でもやはりトイレだけは汚かった。
まず入ると悪臭が立ち込めていて、個室の中にあるカゴはウ○コのついてティッシュで満たされていた。(汚い話で本当にごめんなさい)
これがなくなって完全に水洗になれば中国ももって文明的になれるのにと思った。
しかし、さくら剛の本に出てきた個室の壁がないトイレは未だ出会ったことがないし、これから先も見たくない。
博物館見学を終えた一行は休憩を取るためにショッピングセンターへと向かった。
ここでガイドの人が紹介してくれたイタリアンのレストランはイタリアンと言っていたにもかかわらず中華料理が中心というケッタイなものだった。
このショッピングセンターは若者が集まる場所になっているのだという。
しかし、見た目はイオンでも、店の中を見ると5人いる店員のうちの3人ほどが手前の机に突っ伏して寝ていたのを見るとやはりここが中国だというのを思い知らされる。
休憩室がないんだね、きっと。
その後はすぐに夕食になった。
店はなんと昼のレストランと同じところ。
旅行会社のお得意様なのだろう。
しかし、昼と同じくそこの料理は私達を落胆させることはなかった。
モンゴル式のしゃぶしゃぶでまず大きななべのようなのものが出てきた。
真ん中にでかい塔のようなものがあり、その中心に弧を描くようにスープがたまっていてそこに羊の肉を中心に豆腐、野菜、麺などを入れてたべる。
これがとてもおいしかった。というか懐かしかった。
イギリス留学中によくboに連れて行ってもらった中華料理の店が火鍋屋さんでその店で使われていたタレとレストランのタレの味が同じだったのだ。
それを口にした瞬間に留学先の思い出がよみがえった。
最初はあまりおなかがすいてなかったのだが、食べだすと止まらなくなり、結局4人分を平らげてしまった。
この後はもう飛行機に乗って西安に向かうだけである。
思えばフフホトではホテルのベッドがダブルだったことを除けばこれといったトラブルは無かった。
そう、いつも発生するトラブルが今回はないのだ。
よし、これで安心、と思った矢先だった。飛行機の搭乗時間となりゲートへ向かおうとしたときにstatus が遅延という表示に変わった。
しかもよく見ると同じ時間に同じゲートから出発する全く別の飛行機があるのだった。
何、この空港はゲートが途中で分かれていて2機の駐機が可能なのか!?
なんてことを考えていてそこを見ると違う航空会社の飛行機が停まっていた。
何で?と思ったが全く混乱はなく人々は搭乗していく。
うんここは中国だと思った。
普通どう考えても同じ離陸時間の飛行機を同じゲートに配備したりはしない。
まさかもう遅れることが暗黙の了解だったということか。
しかも、ただ遅延と書いてあるだけで何時に出発するのかも表示されていない。
だいたい飛行機もいない。
ちょとまってくれ、おかしいだろ。
普通飛行機の到着が遅れているのだったら、あらかじめ遅延の表示をしておくんじゃないのか。
しかし、今回は搭乗時間になって初めて「あ、やっぱり無理でした」みたいな感じで表示された。
まさにドタキャンみたいである。航空会社がドタキャンをするとは無礼極まりない。
結局少しして次の搭乗時間(変更時間)が表示されたが、実際に離陸したのはそこから更に1時間以上経ってからだった。
これは「ゴメン、一時間遅れる」とメールしてきた友人が、更に一時間後に余裕で遅れてきたようなものである。
中国当方航空という友人が。
そんなこともあって西安咸陽国際空港に到着したのは1時をゆうにまわった時間だった。
しかも予約表には「食事 1」と書いてあったのに、食事が提供されることはついになかった。
けずれるところはけずってとにかく早く西安に飛ばそうという心意気には納得できるが・・これを期待して食事をしてこなかった人はどうなってしまうのだろうか。
西安は霧に中にあった。
着陸をミスらなかったパイロットにはバクシーシとして10元をあげてもいいレベルである。
しかし、予期せぬ予定変更と前日からシャワーしていない不快感があいまって私は相当不機嫌だったと思う。
だが、予約していた「ホテル、メルキュールオンレンミンスクエア」は外資系のホテルらしく大変きれいで部屋もある程度の豪華さがあり、私は不機嫌から脱出することができたのであった。
めでたしめでたし。
一応、市内観光の様子を載せておきます。(人がいるのがわかりますか?)
次回は、「夜行列車の旅K591次」です! だんだん面白くなってきますよ~^^
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