旅行が好まれる理由の一つとして「楽」なことが挙げられると思う。それもそのはずだ。旅行はお金さえはらえばただのお客さん。何もしなくても旅行会社が連れて行ってくれて、我々は外部からの刺激を楽しむことができる。
しかし、それは本当に楽な分、感動もどうしても薄っぺらいものになってしまいがちだ。とういのも、それは、ゼロ(何もない状態)から、プラスになるという行為だからである。基本的にツアー旅行などをするときは特に何も努力しなくてもよい。ただ、金を払って荷物を持って空港へいくだけである。
今回の旅行は違う。むしろこれを旅行と呼ぶこと自体が間違いかもしれない。インド旅行は非常に多忙な準備を必要とする。まず、テーマの決定である。多くの書物を読み、ああでもないこうでもないと自分で探して、そこで教授にそれではだめだと指摘され、また班で話し合って・・・そうしてやっとテーマが決定する。
だが、テーマが決定すれば終わりということはない。現地で行う出し物や現地のインタビューで聞く質問などをも真剣に考えなければいけないのだ。つまり、これらの作業は自分が何かしないことには始まらない。そしてある程度の苦痛が伴うこともあるのだ。だから、この苦痛や労力を考えるとむしろマイナスからスタートするといっても過言ではない。
その間も旅行のことを真剣に考えて、心の準備もする。つまり、ただのツアー旅行とは向き合い方が違うのだ。一応単位もかかっているし。だから、実際に現地に行って何らかの刺激を受け、楽しいと感じた時にはそれが一気にプラスへと跳ね上がる。マイナスからプラスへだ。これはゼロからプラスへ上がるのと比べて跳ね上がりの幅が圧倒的に大きい。しかも真剣に向き合っているのだなおさらだ。
ふつう旅行というと日本人は前者のツアーのような旅行を思い浮かべるだろう。しかし、私が真にしたいと思っているのは後者に近い旅行だ。実際に研修などが伴わなくとも、自分でガイドブックを買ってどこの場所に行こうか、このルートを使うと最も効果的に回れるとかそういうことである。
つまり、旅行とは実は旅本体とは別にその準備の部分にも相当の価値があるのだ