写真は、焼失する前の首里城のライトアップです。いつも我が家の目前に美しいシルエットを見せていました。しかし、残念ながら2019年10月 31日早朝(午前2時40分ごろ)首里城は炎上しました。あれから、8か月焼き落ちた首里城の整理も一段落して、再び、一般客が城内に入れるようになりました。
昨日、西原の「沖縄県立埋蔵文化財センター」に行ったところ、首里城の歴史を展示していました。これによると首里城は歴史上4回ほど焼け落ちているようで、最初の焼失は1453年、第一尚氏の金福王の死去後に発生した王位争いで城内は完全に破壊された。当時の目撃記録として、首里城は、「外城」「中城」「内城」の三地区に分かれ、外城には倉庫や厩、中城には200余人の警備兵、中層には王が滞在する場所があり、侍女が100余人控え、一階は酒食が供される集会所となっていたと記述されている。二度目の焼失1660年であり再建に11年の年月を要した1709年には三度目の火災が起き正殿・北殿・南殿などが焼失した。この時は財政が逼迫して1712年に薩摩藩から2万本近い原木を提供されている。四度目は昭和20年の沖縄戦で焼失し、平成4年に再建されていた。しかし、この城も昨年の10月に漏電?が原因で焼失、今2026年の再建を目指して準備をしているようです。
