国民皆長生きする時代、70歳は杜甫の生きた700年代はまれだったので、古希などという言葉が残っていますが、現在では普通ですね。ただ、人間だれにでも仕事を辞める時は来ますので、毎日が日曜日であれば、定年後の時間を持て余してしまうのではないかと不安に思います。今は行政用語でしょうか75歳からの後期高齢者の呼び方も変な感じがいたしますが、このような言葉で、老人像を造っているのでしょう。
そして、多くは現役の時、華々しく生きていても、定年後は居場所は家庭が中心、角を矯めた牛のように悶々として毎日を送るのでしょうか。
私は、長生きした分培った沢山の教養を胸に抱きながらも、欲はなく、怒らず、笑い、そして自分を勘定に入れない、高貴高齢者となりたい。