韓国でフェリーが沈没、多くの高校生が犠牲になった、まだ、救助活動が続いているが、親御さんたちいたたまれないでしょうね。
沈没した船は日本で鹿児島や沖縄に就航していたそうで、沖縄に住む私には随分身近な船舶事故ではあります。
しかし、なぜ、原因はいろいろ取りだたされていますが、急な舵を切った、暗礁に乗り上げた、荷物が動いた、爆破?などなど、でも、船長がいの一番に逃げ救助されていますが、これには避難ごうごう、ありえない。あり得るか、最近でも地中海での豪華客船の事故で、船長が先に逃げて非難されました。
一方、我が国では、太平洋で鉄鉱石運搬船が沈没したとき、乗客がいないにもかかわらず、乗組員の説得を無視して船とともに沈んだ船長がいました(以下に記事)。
日本の船長はやはり真面目、日本人の気質を表してもいますが、船長は本当は命を懸けた仕事なのですね。
かりふおるにあ丸(総トン数34,001トン)が、昭和45年1月22日アメリカ合衆国ロスアンゼルスで60,157トンのペレットを6個の船倉全部に 積み分け、翌23日ロスアンゼルスを発して和歌山に向かい、荒天の続く太平洋を航行中、翌2月9日午後10時30分(船内時間)野島埼東方沖合において、 異常な大波を受けて左舷船首部外板に破口が生じ、浸水したためSOSを発信して救助を求め、両舷救命艇の降下を試みたが、両艇とも落下して流失し、同10 日午前6時50分ごろ船首を下にして沈没した。
沈没の約20分前、来援したニュージーランド国籍の冷凍貨物船オーテアロア号の救命艇がかりふおるにあ丸に接舷し、乗組員22人を乗せて同号に収容した が、船長は退船を拒否し、船橋に残留して行方不明となった。