三陸の津波被災地に行ってきました、ブログ、しばらくぶりの更新です、奇跡の一本松のある陸前高田市、旧市街地、なにもなし、今では地盤沈下で水が溜まり、まるで、4月ころの田んぼを見ているような感じ、ここで、多くの人が生活し、また、官庁、学校などがあったとは思えない状況でした。

奇跡の一本松近くに陸前高田市立気仙中学校がありましたが、この中学では一人の犠牲者も出なかったとのこと、全員が避難し、寒い雪空でも小高い山で退避していたことが犠牲者を出さないことになったと語っていました。

犠牲になった方は逃げなかった人、戻った人、そして、車で逃げたが渋滞で停車中に津波に流された人、だったそうです。

津波が襲ったのは地震発生後40分もあったようで、気象庁も当初わずかの津波しか予想しなかったですが、津波なんてこないと考えた方が犠牲になったようです。

また、橋梁もかけかえで仮橋が片側1車線しかなかったことも犠牲を多くしたとのこと、多くのファクターが犠牲を多くしたようです。

しかし、瓦礫もまだ片付かないまま、町跡ははまるで田んぼの様相、今後の復興はどのように進むのでしょうか。