世界遺産の熊野古道で無許可で森林伐採で問題になっていますが、山の木が伸び過ぎて集落に日が射さないためとか・・
熊野古道と言えば旅情を誘いますが、しかし、ここの「熊野本宮大社」私は創建時からあの山合いに建っていたものと思っていましたが、実は明治22年(1889年)8月の水害時までは熊野川・音無川・岩田川の3つの川の合流点にある「大斎原」と呼ばれる中洲に建っていたようです。
今でも河川の中州に鳥居、礎石などが並んでいますが、実際に参詣してみますと、千年以上中州にあった神社がなぜいとも簡単に流されてしまったのかと考えていましたが、今回の千年に一回の確立と言われる大津波の来襲を見ても、ある意味、納得できます。
なお、987年ころに生きた和泉式部さんが、京都から熊野古道を進み、本宮を参拝しようとしたところに、月の障りで参詣がかなわぬことになり「晴れやらぬ 身の浮雲のたなびきて 月の障りとなるぞかなしき」と詠んだとか。
でも、本当の話でしょうか、京都から300kも歩いてやっと目的地に到着、自己申告のハズの自分の体調を誰に話をしますでしょうか?
熊野本宮は中世から「蟻の熊野詣」とも言われた大人気スポット、数万人、あるいは、トータルで数百万人が詣でた中で、生身の女性としてしっかり後世に名前を残している和泉式部さん、さすが世界の紫式部さんからプレイガールと言われた方だけありますね。