三津七湊(さんしんしちそう)は室町時代末に成立した日本最古の海洋法規集である「廻船式目」に、日本の十大港湾として記されている三津、七湊の港湾都市である。

三津は伊勢安濃津(津市)、筑前博多津(福岡市)、和泉堺津(堺市)、

七港は越前三国港、加賀本吉湊、能登輪島湊、越中岩瀬湊、越後今町湊、出羽土崎湊、津軽十三湊であり、当時は小型の船であるため、夏場は波の穏やかな日本海を航行していたため、多くが日本海側の自然地形をうまく利用して建設された。

併せて、貿易相手国も朝鮮、中国であったため、この面からも日本海側に湊が発達した。

これらの港でも青森県の十三湊、今は雛の地、しじみ貝で有名ですが、かつては、中世で人口10万人を超える大都市(今の様子からは想像もできませんが・・)、しかし、興国元年( 1340)の大津波で壊滅的被害を受け、以降衰退したと考えられて ます。

日本は明治以降も港湾都市が栄えてきていますが、やはり、神戸も地震災害で壊滅的な被害を受けました、自然災害の多い日本(特に、地震・津波)、どんなに堅固に作っても備えは万全とはいきませんね。やはり、自然と共生が必要でしょうか。