東日本太平洋沿岸地震、400kmの段層が動いたなど、ほんとうに考えられない巨大地震ですね、有史以来でも1,2回、縄文時代から見ても数回の巨大地震でしょうか。

しかし、今は、縄文時代や古代と違い、沿岸に産業施設、住宅施設、そして公共施設があり、一層、被害が大きくなっています。これまで明治以降でも、1896年(明治29年)の三陸大津波発生後、当時の地震学者は被害を少なくするには、少なくとも住居は標高70m以上の土地にすべきだと提言していますが、しかし、そのような提言もいつか忘れ、37年後に襲った昭和の大津波1933年(昭和8年)には既に沿岸に住居を建て、この時も大きな被害を受けました。そして、今年2011年まで78年、便利さを追求すればやはり沿岸が」便利、多くの都市施設が沿岸域に進出、今回も残念なことに多大な犠牲者と被害者、火山列島の日本の宿命のようなものですが、究極この列島と共存しなかればならないですね。

また、今回の余りにも大きな被害、多くの人々の気持ちも本当に消沈しますが、でも、残った私たちがまた復興に立ち向かわなければなりません。

江戸時代の名僧良寛様が71歳の時に近くで大地震が(三条大地震)がありましたが、この時、良寛様は、力のあるものは力を、お金のある者はお金を、そして、自分(良寛さま:一般庶民)のような無力なものは祈りをと書いています。今回の大津波、本当に犠牲者にはお気のどくとしか言いようがありませんが、日本全国どころか世界各国の人々も連帯の気持ちを持っていることをお伝いしたいと思います。