人間が「死ぬ」ことの意味を知るのはいくつくらいからであろうか、この正月東京の家に家族が集まり、孫たちも賑やかに遊んでいたが、そのうちの幼稚園児の孫娘「おじいちゃんいつ死ぬの?」と哲学的な質問、突然のかわいい質問に、「○○ちゃんがお嫁さんになって○○ちゃんの結婚式に出でからかな」と答えるとフーンとうなずきまた、賑やかに遊んでしました、

私の場合、母が亡くなったのは小学校一年生に入学したての5月、当時を振り返ってみて、母の死に直面してもその意味が余り理解できていなかったような気がしています。しかし、その後は親の死(父は戦死)が子供にどんなに不幸をもたらすかを実感しましたが、人間の成長に従って人間の「死」の意味が分かってくるのでしょうか。

今、あちこちで「伊達直人」現象が起きていますが、親を亡くしたことや、その他の事情で養護施設などで生活をせざるを得ない幼い子供たち、施設の職員が親代わりでしょうか、「伊達直人」として寄付される文房具、あるいは食料品などを見ていると、今日の人間社会、まだまだ捨てたものではないと実感しますが、これらの施設で成長した子供たちも18歳になった時点で行くあてもなくとも退所せざるを得ない厳しい現実もあることも知ってほしい。