いつの時代もただいるだけで世も変革をしてきた団塊の世代ももう定年という時代に入っていますが、あの学園紛争を起こしたエネルギーもどこかに置き忘れ、もう、人間も角が取れて丸くなり、たまに孫に会って相好を崩すいいオジイになり、静かに余生を送っていこうと考えている人も多いことと思う。
しかし、長い間勤め人だった者は解放されてホットする間もなく、いずれ、時間ばかりあっても一体何をしていいのか戸惑い、一日ぼんやりして過ごし、午後になれば何か口寂しく、もう、ビールを飲むなどしてしまう人や、あるいは、糸の切れたタコ同様、パチンコの開店と同時にパチンコをする人など、勤め人の頃は規律ある生活を送っていたのに、時間がありすぎて自堕落な生活をしてしまう危険もある。
先日「私の知的生産技術」という本を読み返してみたら、余暇は規律を持って活用しなければならないとあった、例えとして、イギリスの上流階級では食事をする際に、だれが見ているわけでもないが、服を着替えて望むくらいであり、余暇はただぼんやり過ごすのでなく、自分なりに計画性を持って送ることの大切さを説いていたが、確かに「知的な生活」を送るの必要な余暇の過ごし方は、学校の授業のようにカリキュラムを創り様々なことを学び続けることであるような気がした。
そうすることによって、宮沢賢治さんではないが、木偶の坊とは呼ばれずとも
ホメラレモセズ
クニモサレズ
で生きていけるのではないでしょうか。
人間、人間らしく生きることは意外と難しいものですね。