論語に「子曰く いやしくも 仁に志せば 悪しきこと無きなり」と言う説がありますが、昨日の菅さん沖縄訪問の際の県庁周辺怒号の中での状況を見て 市民運動家と自負した菅さんのなれのはてが悲しくもありました。

菅さんの政治への入口は市川房枝さんの選挙運動「勝手連」が始まりでした、人間、親兄弟が政治に携わっていないとなかなかその機会もないのですが、彼の場合は、弁理士という自由業で時間ががあったらか、政治へはそもそも今の若者同様ヒマつぶしで係わったのが始まりです。

また、彼の革新的リベラルな言動と類いまれな「強運」が今、日本国の首相まで上り詰めさせたわけですが、沖縄の辺野古への基地建設を沖縄県知事へ相も変わらず求めている状況を見て、彼の「強運」ももうこれまでと実感させました。

菅さんと会見した後の県知事は不「沖縄へ新たな米軍基地が建設出来ないことをなぜわからないのか」と機嫌そうに話していましたが、管さん、首相になって随分と市民間隔からずれてしまいましたね。

市川房枝さんをもし「師」と仰ぐのであれば最初に書いた「論語」を読み返してみたらいかがでしょうか。

大阪の橋下知事は、政治家の最大の目的は「自己顕示欲」であり、市民への奉仕など頭の片隅にもないのが多くの政治家の本当に姿だと言っていますが、腐った政治家を一掃するには名古屋市同様、リコール運動を盛んにしなければなりませんね。