歌舞伎役者「海老蔵」が謝罪会見、東京のホテルで500人を超す取材人でごった返している様子を夜のTVニュースで見た。
海老蔵さん、関係者にご迷惑をおかけしましたと頭を下げ、いろいろな質問に答えていましたが、殴り合いの後遺症でしょうか左目はまだ充血。
「極付幡随長兵衛」は歌舞伎の演目、由来は、江戸初期の旗本奴「水野十郎左衛門」と町奴の「幡随院長兵衛」が対立、明暦3年(1657)7月18日、水野十郎左衛門を幡随院長兵衛が強引に花街へ誘ったものの、十郎左衛門が断ると、長兵衛が罵倒したため、武士に対して無礼であると怒って、長兵衛を切り捨て十郎左衛門が死罪(切腹)となったとされている。
もしこの話が本当であれば、つの時代でも金と暇を持て余しといる若者は「糸の切れたタコ」ロクなことはないことを、350年の年月を経た現在も同じであることを証明しています。
歌舞伎界の「御曹司」といわれた海老蔵さん、なんども死ぬかと思ったと話し、土下座までしたとのこと、始めから死ぬことも見越していた旗本の「御曹司」水野十郎左衛門とは死生観が随分違うようですね。
戦後65年、各界「海老蔵」さんや「鳩山」さんのような「御曹司」が沢山いますが、なんのツッパリにもなりません。やはり、相撲の「白鵬」のような名実ともに実力のある人間でないといけませんね。