昨日の大相撲、横綱白双葉が63連勝でストップしましたが、双葉山の大記録67連勝を破られずにホットしたのは日本人の大かたの心境ではないでしょうか。日本人で双葉山の相撲を直接見た人はもう数人かもしれませんが、記録フイルムで見る限り、やはり、堂々とした横綱で、連勝を止められられた時に『我未だ木鶏にたりえず』と友人に電報をうったとか、何か禅の修行僧のような心技体の備わった神様と同じように注連縄を張るにふさわしいまさに理想の横綱である。

このような日本人の精神性を重視した相撲が最近では目に余る「商業主義」のため、各部屋は競ってガイジンスモーレスラーを呼び込み、神聖な土俵はただ、デブの醜悪なぶつかりあうリングと化してしまった。このことで、沢山の相撲ファンが去り、さらに輪をかけての暴行死問題、とばく問題と相撲は衰退の一途をたどっている。

ここで、モンゴル出身の白鵬は礼節をわきまえた横綱として頑張って、彼自身へのファンは沢山おり、彼の連勝にも興味を持っていたが、やはり、心の中は、双葉山の記録は抜いてほしくないという気持ちも相当あったような気がする。

このような日本人(自分も含めて)の気持ちこそが、『我未だ木鶏にたりえず』かもしれないなと思いながら、昨日の相撲を振り返っている。