「喜びも悲しみも幾年月」という灯台守の映画が木下恵介監督により1957年に発表され大変感動した記憶があります。
歌の出しが「おいら岬の 灯台守は 妻と二人で沖行く船の 無事を祈って 灯をかざす灯をかざす・・」でしたね。
また、この歌はある意味「海上保安官」達の心の歌でもあり、多分、今でも彼たちは誇りを持ってこの歌のように海上の安全を祈って仕事をしているものと思います。
その海上保安官達が、尖閣沖中国漁船追突事件で、あのような、一歩間違えば多数の死傷者も出しかねない粗暴犯を中国の圧力に屈した政府の意向で犯人を拘束したものの、何もできずに釈放ということについては内心忸怩たるところがあるのではないでしょうか。
そのあと数日して同じ海域での中国人乗り組員の船が遭難、同じ管区の海上保安官達は中国人を救助しましたが、心情はどうであったでしょうか。
多くの日本国民は、中国人乗り組員の救難救助の要請に「そんなものほっておけ」とも思う心もないではないでしょうが、しかし、日本の海上保安官達はまた命をかけて、彼ら、中国人乗り組員を救助したのです。
海上保安官達にとって「喜びも悲しみの幾年月」で表現すると救難救助は喜びでしょうが、尖閣沖事件は悲しみというか悔しさのつのる事件でしょうね。