昭和26年の10月25日は日本航空が東京~福岡の航空路の開設の日とか、当時の運賃は1万1千円余り、大卒の月収よりも高かったそうです。確かに、飛行機で旅をするなど昭和も大分下がった時代で、多分50年代以降のような気もする。
かつての日本航空、日本のナショナルフラッグ、JALは若い人の憧れの会社、スチュワーデス(アテンダントというらしい・・)は機内で有名人と知り合うこともあり、時々マスコミをにぎわしました。
しかし、「親方日の丸」の会社、あの気品のあった尾翼の「鶴丸」もいつか会社の「赤字体質」を示しているわけではないでしょうが、ただの赤い尻尾、
昭和26年の10月から数えての、59年経過、人間も還暦ですが、JALも会社更生法での再建を目指す満身創痍の状態、平成22年10月22日はパイロット、アテンダント、整備職など1500人の希望退職を求めた締切日、しかし希望退職者はその数にには達しなかったようです。
「寄らば大樹の陰」という言葉がありますが、また悪いが「腐っても鯛」と言う言葉もあります。将来を考えたらとても外では働く気分にならないでしょう。
長らく「親方日の丸」体質で来た方々にはなおさらでしょし、また世間も冷たいかもしれません。
でも、倒産しては元も子もありませんので、指名解雇された方々は勇気を出して外で頑張ってくださいと言うしかありませんね。