111歳の死者の年金を搾取した家族が逮捕され、これも氷山の一角とか、社会的な関心を集めている。しかし、金にこれまで執着している人間を見ると、心の病にでもかかっているのではないかとも思ってしまう。
江戸時代の井原西鶴は当時の社会を書き残したものが多くあるが、この中で、いい歳をした「大黒講」の金へ執着した人間(老人達)を批判し、
世に金銀の余慶有程 万に付て目出度き事他になけれ共 二十五の若盛りより油断なく 三十五の男盛りに稼ぎ 五十の分別盛りに家を納め 惣領に万事を渡し 六十の前歳より楽隠居して 寺道場へ参り下向し 世間むきのよき時分なるに 仏とも法ともわきまえず 欲の世の中にあり 死なば 万貫目持ても 帷子一つより 皆浮世に残るぞかし。
すなわち、大黒講の連中はいい歳をして仏とも法ともわきまえることがない、相変わらず欲につかれている。人間死んだら例え万貫目の銀を持っていても、もっていけることは死帷子一枚だけではないか と。
死者の年金を搾取する現実を西鶴はどのように表現するでしょうか。