先日訪問した渡嘉敷島ではお天気にも恵まれて、美しい景観を満喫しましたが、この中で一番記憶に残ったのが大正14年生まれのおばあさんと出あいお話をしたことです。

私が戦争のときは大変でしたでしょうと話しかけましたら、彼女は戦争が激しく山に逃げ込んだが、砲弾の破片が体に当たり動けなくなったことや、その、破片が今でも体に入ったままであること、そして、山中から見た海は、渡嘉敷島から沖縄本島の間の海は米軍の艦船でいっぱいで、なにか、歩いて本島まで渡れるのではないかと思ったと話していました。

私たちは沖縄戦は写真でしか見ることができませんが、確かに、沖縄の海には真っ黒な米軍の艦船が集結し、海を埋め尽くしている戦争の風景を見たことがありますが、彼女の話があの写真の真実味を思い起こさせました。

一方、島には沢山の米軍人が訪れており、大型のシェパード犬を2頭つれた若い兵隊達と話しましたが、彼らは嘉手納のエアフォースであり、渡嘉敷島には2泊すると休暇を楽しんでいました。

いつも思うことはアメリカ軍の基地はいらないものの、そこに勤務するまだあどけなさも残る兵隊はただの若者であり、戦争は犠牲者も兵隊もどちらも何の罪もない人間だと感じます。

しかし、そこに権力や金に目がくらんだ為政者が現れると友好よりも敵対の感情を持たせ悲惨な戦争が起こってしまいます。65年前まだ20歳の乙女だった渡嘉敷島の女性が歩んだ人生も多くの友人知人を失った悲しい記憶でいっぱいのようでした。