映画監督 河崎義祐さんが「出前映画活動」をしているそうですが、ニ、三日前の朝のラジオ番組なぜ、このような活動をしているのかを語る中で、幸田文さんの話をしていました。
幸田さんは父露伴から厳しくしつけられ、なんでも、駄目、駄目と言われて自分の性格がねじ曲がってしまっていると思っていた、しかし、宮大工の棟梁である西岡常一さんと会談した際に、木はまっすぐな木、曲がった木、節のある木、節の無い木、どの木もそれぞれ役割がある、例えば、曲がった木など屋根を支える梁に使えば力をうまく配分し、建物を安定させる、と聞き、自分の曲がった性格も別に欠点ではない、むしろ、長所だと考えるようになり、その後の作家活動に大いに役立ったと語ったそうです。
また、木は山に植林されている時は治山・治水に役立ち、また、山から切り出されてからは木材として建築資材等として生かされており、むしろ、二度目も役割の方が長い、このことから河崎さんも映画監督としての第一次の人生よりも、第二次の出前映画の活動を大事にしているような話の内容でした。
人生二毛作といった方がいいかもしれませんが、学校を出てからひたすら仕事に精を出して、老齢期に入り退職した場合もう、もう誰でも燃え尽き症候群になってしまいますが、それでは人生を生きたとは言われませんね。働くしか能がなかった男性もリタイアしてからの充実した人生で、人の一生が完結するかもしれません。
しかし、藤沢修平さんの「三屋清左衛門残日録」にあるように、清左衛門さんが隠居してからも「殿様」とかかわる重要なお役目にかかわる話ですから人を引きつけるのでしょうが、清左衛門さんも隠居後ただ釣りだけをしていたり、あるいは囲碁だけをしていた話では小説にもならないでしょうからね。
ムム・・・・・人生の 「残日」は難しいですね。