今朝の新聞に「シベリア抑留者最高150万円支給」とあったが、「シベリア抑留」と言っても、今どのくらいの日本人が知っているだろうか、もう多くの日本人は忘れたかもしれませんが、今でも傷の癒えない関係者がいることも知っていてほしい。

そもそも、戦争により対戦国の捕虜になった場合、捕虜は保護されるべきものであると考えられ、1899年の陸戦ノ法規慣例に関スル条約(ハーグ陸戦条約)以降、各種条約によっ保護されるようようになったていたが、旧ソ連ではスターリンの命令により、対戦国(敗戦国)である日本、ドイツ、イタリアなどの軍人、軍属を極寒のシベリアに送り強制労働をさせた。

日本人の軍人(職業軍人ではなく徴兵されたものが大多数の)は約65万人が抑留され、このうちの約6万人が死亡、今なお凍土で眠り遺骨さえも帰国出来ない状態にある。そして、今生存の抑留者の補償がたったの150万円とは....


私の父も徴兵され出征、中国転戦中に敗戦、そしてソ連に抑留、そして、敗戦の1年後の昭和22年12月に抑留地で死亡した。

私は父の抑留地、あるいは死亡原因、そして、墓地はどうなっているのか調べたが一切不明であったが、ソ連崩壊直前にゴルバチョフ書記長が来日(日本は海部内閣)抑留死亡者の名簿の一部が日本政府に渡した。

この情報から私は父の抑留地知ることが出来き、新潟からイルクーツク市へ飛行機で、そして、バム鉄道などを利用、約3日かかって、抑留地はイルクーツク州ブラーツク市へ、そこで、墓地を捜したが墓地はアンガラ湖の湖底にあった。理由は水力発電所建設で人造湖が出来てしまったためであるが(アンガラ水力発電所400万kW:黒四発電所の10倍)。私のように抑留地をそして墓地を訪ねた遺族は少ないと思うが、現地で父はこのような景色を見たのかと思うと永いこころのわだかまりが一つとれた感じがした。

「ひまわり」というソフェア・ローレン主演の映画がありますが、あの映画もソ連に抑留された夫を探すを内容でしたが、戦争での悲惨な犠牲は関係者には生きている限り続くものである。