昨日は座間味島で「船頭殿」という屋敷跡を見たが、琉球王国時代の海運とそれがもたらす富を垣間見た気がした。
そこで古い時代に日本人はどんなことをことを思いながら生活をしていたのかを知りたく「かげろうの日記」を見ていたら、天暦9年9月には作者が出産したころ夫である兼家の忘れていった手箱を開けたら、他の女にやろうとした手紙があり、あきれてしまったとある。
これなど、今日でも夫の携帯を何気なく見て知らない女性のアドレスがあったりしたら、夫婦喧嘩になるということを聞いたことがあるが、男女間のもつれは平安の昔も、1100年も前から何も変わっていないような気がしました。
なお、蜻蛉の日記は作者が兼家から求婚された天暦8年(954年)の夏から筆を起こし、兼家から顧みられなくなった天延2年(974年)の大晦日鴨川のほとりも夜更けで終わっているが、この20年、日記はすべて兼家との生活のことであり、それ以外は記すに値しない、すなわち、自己の存在の本質には係わらないことであったようだが、何か夫婦の本質を突いているような気がする。