写真は普天間飛行場が一望できる「嘉数展望台」からのものであり遠くに飛行場が見える、なお、この展望台周辺は公園となっておりますが、案内板にはこの高地は沖縄戦最大の激戦地であることが書かれていた。
すなわち、「嘉数高地は、第2次世界大戦中に作戦名称第70高地と命名され、藤岡中将の率いる第62師団独立混成旅団、第13大隊原大佐の陣頭指揮で、約千人の将兵と約千人の防衛隊で編成された精鋭部と、作戦上自然の要塞の上に堅固な陣地構築がなされたため16日間も一進一退の死闘が展開されたが、ついに日本軍は矢尽き刃折れ後退した。しかし米軍にとっては『死の罠』「いまわしい丘」だと恐れられた程に両軍ともに多くの尊い人命を失った激戦地である」
この嘉数高地70高地は、旧日露戦争の203高地の値する第2次世界大戦の歴史の上に永代に残る戦跡でもあるとあった(このようなことを知らずに、敵国の米軍機が離着陸する飛行場を65年もそのままにして、この丘に眠る亡くなった方々に申し訳ない気がいたしました)。
なお、展望台のパネルには普天間飛行場の面積は4,805ha、滑走路2,800m×46m、地主3,031人とあり、狭い沖縄での米軍の存在の大きさが知らされる。
この面積で先に示した不動産屋さんの広告から地代150万円/300坪/年と計算すると なんと、年間地代だけでも720億円の計算となり、軍備というものは本当に高額なものである。
