阪神淡路大震災から15年、その後の時の経過からもうそんなにたったのかと思います。様々な天変地変のうち特に地震は「天災は忘れたころにやってくる」の諺どおり、今突然襲い人間を苦しめます。

あの震災で体に傷を負った方、肉親を亡くした方、家などの財産を亡くし二重ローンに苦しんだ方、あるいは、進学をあきらめた方など本当に苦しく悔しい15年だったと思います。

当時の首相は村山首相、あの震災の後の談話で「TVで見て・・」と発言し、危機管理能力のない総理だとマスコミに批判されたことがあったと思います。

しかし、いくら科学が進歩しても地震予知情報はまだ未熟、人々が余裕を持って避難するようなものではなく、地震発生後に命からがら避難するというのが現実である。

江戸時代の情報伝達として「稲むらの火」が有名であるが、1854年(安政元年)12月23日、安政の東海地震M8.4)が発生し、その32時間後に襲っ安政の南海地震(M8.4)の時に、一人の老人が地震後、津波が襲ってくると予感し、収穫した大切な稲むらに火を放ち、多くの村人を救った話であるが、結局予知情報に大金をかけるよりも、いかに避難をするか、そして、安全な避難場所の確保が大切なのかもしれない。