「異国の丘」といってももう知っている人は高齢者ばかりでしょうね、あるいは、劇団四季が同じ名前のミュージカルをやっていましたので若い人では演劇として知っていますでしょうか。

そもそも「異国の丘」はソ連に抑留されていた益田幸治が作詩し吉田 正さんが作曲した望郷の念を歌ったかなしい歌ですね ー今日も暮れゆく異国の丘に. 友よ辛かろ切なかろ. 我慢だ待っていろ嵐が過ぎりゃ ・・

これは終戦時に旧満州、朝鮮に駐留していた日本軍60万人余が武装解除と同時にシベリアに抑留され、-40度にもなる酷寒の地で、鉄道、道路、ダム、森林伐採など様々な重労働につかせられ6万にもの人が亡くなった状況の中で作られた歌です。

このように捕虜虐待をしたソ連は崩壊しましたが、かつて収容された人達は日本政府に戦時補償を要求してきましたが、最近、政府及び野党になった自・公からも抑留期間によって25万円から200万円程度の保障をするような法律を制定する動きがあります(自・公は政権についていた時どうして実行しなかったのでしょうか??)。

抑留されていた方々、たぶん、ソ連から帰国してからも「アカ」だとか「左翼」だとか偏見がありその後の生活は大変だったと思います。人生を棒に振ったと思っている方もたくさんいらっしゃると思います。

しかし、一方で6万人余があの酷寒の地で亡くなり遺骨も帰国できないまま、再び家族とも会うことができませんでした。

なお、この日本軍人をソ連へ労働提供したのは当時軍参謀だった「瀬島龍三:戦後伊藤忠会長」の発案とも言われています。彼については山崎豊子原作不毛地帯がありますが、この事件については一言も話さず2年ほどまえに鬼籍に入りました。