今朝何気なくラジオのスイッチをいれたら、五木寛之さんの人生と歌についての第一回(アンコールだったらしい)を放送していた、この放送は平成17年に放送したものらしいですが、五木さんが生まれたのは昭和7年とか、五木さんは不景気の最中であった昭和7年と今の社会ががなんとなく似ていると話していました。

当時に流行った歌は古賀メロディの「酒は涙か溜息か」であり、なんとももの悲しく、軟弱だとの理由で歌うのを禁止されていたとか、また、今で言うサラリーマン川柳ではないが「大学は出たけれども」という言葉が流行り、そして「生まれてはみたけれど」の自虐的な言葉も流行ったとか。

手元に昭和12年の「朝日東亜年報」がありますので、昭和7年の国家予算を見てみましたら、歳入は20億4千5百万円余、歳出が19億5千万円余りであり、軍事費のうち陸軍費が3億7千3百万円(対歳出日比19.16%)、海軍費が3億千2百万円(16.04%)とあり、当時、国家予算に占める軍事費は35.56%を占めていた。乏しい国家予算に占める軍事費の比率からみても当時の人々の生活は大変だったものと推察される。

翻って、現在の国家予算83兆円余りに占める国債償還比率は20兆円余り(24.3%)であり国債償還費用が当時の陸軍費の比率に匹敵している。また、防衛費が4兆7千億円余りであり、あまり役立っているとは思えない予算が大きな額となっているjことが国家の疲弊をもたらし、国民は「生まれてはみたけれど」の自虐的になってしまう。

鳩山政権はなんとか国民に「日本に生まれて本当によかった」と思われる政治を行ってほしい。