政治家の石田博英を知っていますか、彼の紹介を出身地の秋田県大館市のHPから転機します。、
「石田博英は、大正3年(1914)12月12日、能代市二ツ井町に生まれ、早稲田大学卒業後、中外商業新報社(現・日本経済新聞社)に入社し、上海支局長、政治部次長を歴任。昭和22年秋田一区から衆議院議員に初当選。以来、連続14回当選を果たし、36年間に渡って国政に参加しました。この間、内閣官房長官2期、労働大臣6期、運輸大臣1期を努めました。
中央労働委員会の仲裁裁定完全実施の慣行や、ILO批准問題に取り組むなど、戦後の労働行政に一時代を築くとともに、日本経済の発展に貢献しました。・・・」
とありますが、彼は三井三池の炭鉱閉山の時に「炭鉱労働者に皆さんが新たな職場に着くときには私が身元保証人となります」と語ったといわれています。
これに比べて、舛添要一厚生労働相は横浜での街頭演説会で派遣切にあい文字どおり命からがら日比谷公園の「年越し派遣村」に来た失業者を「怠けている連中」と発言しそうですが、同じ労働行政を担う政治家として石田博英との品格の違いを感じさせました。これまで八面六臂の活躍をしていた舛添さんは他の自民党政治家と違うのではないかと期待していたので残念です。
写真は沖縄北部の羽地ダム、昨日の水量は5割ほど。
正直に力の限り生きし人路上に死して法はいずこに maru
