昨今、官庁や社用族の御用達しの店はどこもかんこ鳥の鳴く様相を呈している、特に一時期流行った官庁の人が官庁の人を接待する官官接待はご法度となりこの影響は特に大きいようである、ある県では数十億円もになった交際費(食糧費)を管理職全員で弁償することになり、毎月ごとに数万円を数年間にわたり給料から天引きされた県もあり、このようなことがばれて知事が交代したケースもある。また、県庁などの職員が国の職員を接待することもごく普通に行われ、国の職員もその習慣になれて、名産をを持ってこいだとか、タクシー券(束で)もってこいなどと思いあがった連中もいた。また、関東地方整備局には1年間に400万円以上もタクシー代(税金です)を使ったやからもいた。

井原西鶴は元禄商人の享楽生活を書き遺しているが、たとえば「好色二代男」には江戸吉原で、客が太夫に合うために金銭を1両1分と銀386匁が必要としているが、この金額を現在に換算すれば約70~100万円程度になる。また、京都の島原で大夫を1年間勤める(月10日通う)費用も遺しているが、このためには銀29貫目が必要であり、これも現在に換算すると6千万円~7千万円程度となる。

ことほどさように、江戸時代の遊興費用はすさまじかったわけですが、彼らは、現在の社用族、あるいは、官官接待のように会社の金やあるいは税金を使ったのではなく、自分の金を自分のために使ったということである。それでは、なぜこのような無茶な使い方をしたかであるが、当時は士農工商という身分差別があり、当時悪所と言われた遊郭のみが身分差別の及ばない、教養力と金力のみが通用する別天地だったからであり、この別天地で商人たちは生きていることの時間を過ごしたのかもしれない。

写真は酒田の相馬楼ですが、井原西鶴は日本永代蔵で酒田の繁盛ぶりを書き遺しています。


江戸の世の栄華を残す相馬楼朱色格子に色香ぞにほふ maru


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