東京都小笠原には2回ほど行きましが、今私が住んでいる沖縄が都会化された亜熱帯とすれば、小笠原はほとんど手を入れられてない亜熱帯という感じです。この中で母島には「ははじままる」という船でさらに行かなければなりませんので、ここまで行った方は少ないかもしれません。

母島には戦前人々が豊かに生活していた痕跡がまだ残っており、雑草で覆われた小学校のグラウンド、階段があり、その後の過酷な戦争が(先日放置された機関銃の写真を載せましたが)このような南海の小島にも及んだのかと思うと戦争の悲劇は計り知れないなと悲しくもなりました。

そして、この荒廃した学校の跡地を見ながら、多分ここで学んだ児童生徒と教師は坪井栄さんの「24の瞳」のような純朴な子供たちと、そして先生も大石先生のようなやさしい人だったのではないかと想像しておりました。


荒波を切り裂くごとくへさきにて一羽の鴎羽をやすめつ maru
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