5月16日(土)。17日(日)北部の大宜味村にいっており、ブログ記載を休んだ、大宜味村には芭蕉布快会館があり、ここを訪ねたことは以前にも記載したが、さらに詳しく見たいと思い再訪したものである。会館の2階では実際に芭蕉からの糸を紡いでおり、また、木の機織で丹念に織っていた。静寂のなかに機織の単調なバタン、バタンという音が響き、なにか、古い時代の沖縄の農村を思いさせてくれた。

しかし、今、芭蕉布の一連の作業に携わっている方々は皆高齢者が多く、現状のままでは芭蕉布の将来はなかなか明るい見通しは立たない様子である。

昭和30年代までは沖縄でも芭蕉布を織ることは一般の農家では普通に行われていたようであり、これが急にしぼんだのが、女子が中学校を卒業して沖縄から内地の紡績会社へ集団就職が始まってからであるそうである。沖縄の芭蕉布の織りという伝統技術を育む女性が、まさに、産業革命ともいえる大規模な紡績という産業へ労働力として移動したことが現在の状況を招くという皮肉な結果を生んでいる。

伝統的な工芸の多くが風前のともしびとなっているが、少量、多品種生産ということが再び見直されている現在、これらの復活を願うものである。