1945年4月25日、すなわち、64年前の今日はエルバ河畔でアメリカ、ソ連両軍が握手をした写真が紙面を飾った日であるそうで、ドイツ軍も、また、日本軍も敗走につく敗走を続けて第二次大戦の終結もあとわずかの状態であった。

しかし、このわずかの間に日本は広島、長崎、そして各都市の空襲で甚大な戦禍を受けてしまい、幾百万の尊い無垢な人々の命を失ってしまった。

戦後、この戦争責任は東京裁判で裁かれたが、日本人にはなぜ無垢な命を奪ったアメリカなどの責任は裁かれないのかというふつふつとした気持は残ったままで、60数年経た今でも犠牲者への鎮魂の祈りと、戦禍をもたらした者への復讐の気持もないまぜになっている。

エルバ河畔の誓いは連合国の平和の誓いであったはずが、数年して、冷戦状態に入り平和の誓いも反古にされた。日本や西ドイツはいつのまにか西側の主要国になったが、その後の日本は国連中心主義の外交と言いながらも、結局はアメリカ依存、確固とした独立の外交姿勢は希薄で、非友好国からは日本はアメリカの一つの州ではないかとも揶揄されたこともあった。

沖縄に住んでいると世界はひとつという歌もあるが、ますますグローバル化が進む今、金、物、土地をアメリカ軍に提供し過ぎている現状を悲しくさえ思う。