補償という意味は損害を補う意味ですが、土地を持ている人々、あるいは漁業者は、なんとか、自分の持っている土地や海域に道路新設や河川改修、あるいは埋め立ての区域にならないかと望んでいる。これはわが国の公共事業による補償が高額で、わずかの土地や海域でも数億、数千万円のお金を受け取ることができるからである。
これまでもダム建設事業で長い間反対運動をしていたが、事業見直しの機運が高まったら急に交渉が妥結した例などもあり、反対運動が補償交渉の手段だったのかと思われるような出来事もありました。
ここ沖縄は沖縄振興法で公共事業整備にあたっても他の府県がうらやむような、自治体の負担分がほとんどなく整備できるので、過剰とも思えるくらいの道路が建設されているが、その沿道はまさに豪邸街道との様相を呈している。
補償費の算定は古い建物はもちろんのこと、木々の一本一本まで補償されますので、補償前に計画地の木々が密集して植えられ、高台に立てばその区域が一目で分かるなどの笑い話もあります。
これはなにも沖縄の道路予定地だけのことではなく、全国的なものであり、たとえば、東京のニュータウン開発でもニュータウン区域に隣接した豪邸のほとんど全部が補償により建設されたものであります。
しかし、これら補償費の原資は国民の税金や、ニュータウン地域であればそこに入居した人々の土地分譲地代金や家賃の中に含まれているものであり、これも、持てる者と持たざる者の格差を構成する一つの要因になっている。
今、生前贈与には税金を安くという法律が制定されようとしていますが、今後ますますお金持ちと貧乏人が分断されていくことになりそうです。