最近わが国では犯罪が増加しているが、海外からも犯罪集団が入国し安易に人を殺傷し、金品を強奪しており、刑務所が不足しているとか。
一方で、2009年までに施行される裁判員制度の導入で私たち国民も裁判員となる可能性もあり。罪と罰についてはもう他人事ではすまされない状況にあります。
ここで、罪と罰について親鸞が語った言葉であると言われる「歎異抄(たんにしょう)」からみると、「卯毛・羊毛のさきいゑるちりばかりも、つくるつみの宿業にあらずといふことなしとしるべし」、すなわち、うさぎの毛や羊の先にとまっている塵ほどの微少な罪で、前世の行いによらないものはないと述べています。
つまり、親鸞は罪を憎んで人を憎むなと言っているのかもしれませんが、親鸞は1173年に生まれ浄土真宗を開きましたが、この時代平家、源氏の戦い、西行、法然そして頼朝らが活躍した時代で、世の中は戦で荒れ放題、人心も荒廃、人々は来世にしか救いを求めざるを得なかった時代です。
時代は900年も隔たっていますが、今、経済の悪化は人心荒廃となって現れ、日々のニュースをみていても犯罪が蔓延している世の中となっています。
ここで、私たちが犯罪について対処するにはどうしたら良いだろうか、「罪を憎んで人を憎まず」などでは被害者はたまったものでありません、法治国家が崩壊してしまします。
一方で「歎異抄」では「・・わざとこのみて悪をつくりて ・・くすりあればとて、毒をこのむべからず・・」とあります。つまり、薬があるかあといって、毒を好んではならないとも述べています。
私たちがもし裁判員になったなら仏心を持っていたにしても、この、毒を好んだ罪に対して処罰をすることになりそうですね。