82歳でも現役で商店をカメラ店を経営している元教員と話をしましたが、この先生の経歴が面白く以下に記載します。
まず、戦時中農学校の生徒として学び、その後満蒙開拓団用の訓練を茨城県にあった農場で受けたが終戦。戦後の一時期は魚の引き売りをし、その後、県の農業試験場の技手となり、農家に肥料などの手ほどきをしている時に、受け持ち地域の中学校の校長から生徒に農業のことを話してくれないかなと話があり、何度か中学校に行き話しているうちに、学校に教員の空きが出てとうとう助教に採用されたとのこと。
この話を聞いていて、最近問題となった大分県の教員採用の不正などと比較して、一時期は随分教員の採用は堅苦しさなど微塵もなかったんだと感じました。
しかし、この先生、農学校と農業訓練所で農業を学んだだけですので、中学校の教員としては1単位、青年心理学?が足りなかったそうです。そうしているうち、近くの小学校のほうでも教員が不足しそちらに移動したそうですが、小学校ではなんと4単位足りなくなり、このため大学で聴講生として勉強に励んだそうですが、試験を受けてもD評価で単位をとれず、いろいろ悩んだ結果、結局14年間教員をし退職し、カメラ店を起業したとのこと。
しかし、この老先生は教わった生徒からの評判はすこぶる良く、今でも先生を慕って訪ねて来るそうです。
今日では、名の通った大学で学んで教員免許を取得、激烈な教員試験をかいくぐってはじめて教員となりますが、教員になるまでにヘトヘトとなり、教壇にたったときにはすでに燃え尽き症候群で、みずみずしさが失われかねません。
結局教わる児童生徒にとっては社会的な経験が豊かなほうが楽しいし、人生の師ともなるんだと感じました。