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こんにちは。岡本大輔です。
昼の紹介はこちらです。
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著者 : 山寺亘
ぱる出版
発売日 : 2010-10












【出会い】
帯広図書館の時間管理の特集のところで出会いました。睡眠に関する書籍は2年前くらいにまとめて読んでいましたが、知識が薄れてきたので改めて読ませていただきます。

【本書紹介のねらい】
~本書抜粋より~
本書では睡眠医療に長く関わる専門医が考える「睡眠の知識としてぜひ知っておいてほしいこと」を具体的に紹介しています、さまざまな眠りの悩みに対する回答やその対処法、病気が原因の睡眠障害などです。

最近、眠れなくなったあなた、眠りが浅くなったあなたに読んでほしい一冊です。本書では多数の事例を用意していますので、それと自分を照らし合わせて改善策を考えていただければ、と思います。
※ 書籍で解決できない場合は専門医の受診も必要かと思われます。


【響いた抜粋と学び】
本書を執筆する山寺さんは東京慈恵会医科大学付属病院精神神経科で睡眠障害専門外来に従事しています。慢性の不眠症に対する認知行動療法や森田療法を用いた非薬物療法を主たる研究テーマとしています。日本睡眠学会睡眠医療認定医師でもあります。
睡眠のスペシャリスト、ということですね!

本書紹介に至っては睡眠の基礎を抜粋していきます。

1日は24時間周期です、そこで25時間周期の生物時計を、24時間周期の環境下サイクルに合わせなければなりません、これをするのに最も適した時間が1日のスタートである「朝」で、時計の針の調整に最も関わっているのが「朝の太陽光」です。

体の中にある生物時計は、普通の時計のように精密ではありません、数時間のずれであっても、一度ずれてしまうと、元に戻すのは困難です。

一日24時間と生物時間の25時間……これはなんで違うのだろう、と考えていました。もし同じであれば、ずれを生じさせなくてすむし、眠りで困る人が減るんじゃないか? なんて考えていました。ちょっと考えたのが、1時間違うことによって、朝日を浴びて生物時計を調整する、調整させるために、1時間のズレがあるのかな? と考えました。
朝日を浴びるにはそこから動かなきゃいけない、歩きださなきゃいけない。だから1時間のずれをあえて作ったのだろうか。

原則としては、毎日規則正しく寝起きすること、とはいっても、平日は満足した睡眠時間を取れないという場合もあるでしょう、そんときは、いつもの睡眠時間帯を中心にして、前後に1~2時間を追加するのにとどめましょう。


朝4時起きを基本としている僕は不眠とは無縁です。朝は決まった時間にほぼ起きていますし、21時を過ぎると眠たくなります。最近では長男が21時~22時まで勉強することになったので、付き添いで起きているようになりましたので就寝は22時過ぎです。

【これで眠れる5つの法則】①起きる時間を変えない……毎朝たとえば7時に起きるようにしている人は、7時がその人の1日のスタートです、すると、規則正しいリズムが刻まれ、夜は毎晩同じような時刻に眠たくなってくるでしょう。

ここでのポイントは寝る時間ではなくて、”起きる時間”のことです。以前、長男にも同じことを話すと
「なんで?」
と言われたことがありました。早く寝るためには早く起きる、決まった時間に起きる、というのが定説ですが、考えてみると不思議ですよね。
なんで、早く”寝る”ことじゃないんだ? と。

抜粋にあるように決まった時間に起きるからこそ、決まった時間に眠くなる、というリズムなんですね。
もしあなたが今より早く起きたいのであれば、前日から早く起きるようにしたほうがいいということです。
僕の場合は4時に起きるから21時には眠たくなります。
※ 別の書籍では起床時間の15時間後に眠くなるんだとか。であれば、僕は19時睡眠になりますね(笑)

②起きたらすぐに新聞を取りに行く、③ランチの時間に軽く散歩……生物時計のリズムを規則正しくするには、日中軽い運動をすると効果的です。

軽い運動が睡眠を促します。僕の場合ですと、自動車通勤よりもやはり自転車通勤で汗をかいたほうがその日の眠りは早いし、深いです。
運動時間を儲けるのが難しい方は自転車通勤や買い物などちょっとした移動は自転車や徒歩、と決めると運動時間を確保できそうですよ。

④夜は「快眠の敵」を遠ざける……夜の快眠の敵は、コーヒー、たばこ、アルコール、そして「食べ過ぎ」「熱い風呂」「テレビやパソコン」などもそうです。

寝る前は、激しい運動をしたり、食べすぎたり、飲みすぎたりしないように、コーヒー、緑茶、たばこ、アルコールなどは取らないほうが、質の良い睡眠を得られます。

僕の場合ですと、コーヒー、たばこ、アルコールはとらないので、大丈夫です。「食べ過ぎ」というところでは30回噛むことを基本にして、食べているときにゲップが出るときなど、身体から満腹のサインがでるときは食事を止めるなどしていけば、これは避けられるかと思います。

テレビやパソコンの使用についてですが、別の書籍でも19時以降は止めたほうがいい、とありましたので、ここ最近21時~22時はパソコンをやっていましたが、変更して読書にします。

⑤眠くなってから寝室に……寝室のベッドに入って、眠りが訪れるのを待つことはやめましょう、眠る時間は一定でなくていいですから、眠くなったときに眠る。

よく眠ることは風邪の「治療」になるとともに、風邪の「予防」にもなります、不眠が続き、心身にストレスがかかった状態が続くと、その緊張から大量のストレスホルモンが分泌され、それは夕方以降も続きます。


最後に、基本に戻って、眠くなったら寝る、です。起きる時間は一定に。眠りによって風邪の治療、予防になり、ストレスも軽減され、元気で楽しく過ごせます。

まずは、書籍に書いてあるとおりやってみることが一番だと思います。

明日の朝は今日よりちょっぴり早く起きて、眠る時間を早めてみませんか?

ここまでお読みいただきありがとうございます。

コメントは自由制です。一見さんも読者も大歓迎です。
返信は24時間以内にいたします。
※心無い非難・誹謗・中傷等は削除させていただきます。



著者 : 山寺亘
ぱる出版
発売日 : 2010-10
おはようございます。岡本大輔です。
本日の紹介はこちらです。
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著者 : 古川愛哲
講談社
発売日 : 2008-01-24










【出会い】
幕別町図書館札内分館で出会いました。

【本書紹介のねらい】
僕たちが知っている歴史は真実なのか? あなたが今持っている常識・知識に疑問を持とう。

【気になった抜粋】

武家は一人で歩くことはなく、必ず中間に挟箱を担がせるなどして、従者を連れていた、町人は将軍、御三家、御三卿ぐらいには土下座をしたが、それ以外は、道の左右に避けて済ませた、武家が上司と出会ったときは、小走りにより、地面に片膝を付けて挨拶した。

家主は、三年燃えなければ元が取れる安普請(粗雑な作り)にしたので、この建築感覚が後々まで地震大国日本に大きな被害をもたらすことにもなった。

年表を見ると大火は、景気低迷の時代に起きている。

時代劇で「面を上げぃ」というが、将軍はもとより上位の人の前では相手の顔を見ないのが作法だ、そのせいで近代になっても日本人は、相手の目を見て話さなかったという。

凧揚げには天と人とを繋ぐ意味があり、将軍の凧揚げも天上と天下をを繋ぐ絆を再確認する行事だった。


【響いた抜粋と学び】
僕たちが知っている江戸時代。もしそれが違っていたとしたら……。大政奉還、廃藩置県、徳川幕府が終わり武家の時代が終わりました。新政府が日本を統治してまだ150年も経っていません。
更に言えば明治、大正、昭和20年までとGHQから占領された昭和20年以降から平成にかけて違う時代になっていると言えるのではないでしょうか。

明治政府は「反逆」「反抗」「革命」「無頼」「刀」「剣戟」などを過敏といえるほど嫌い、禁圧しました、三百年近い徳川幕府を倒して明治維新政権を樹立したのですが、それだけに「反逆」「反抗」「革命」「無頼」「刀」の力を恐れました、武士の行動原理と文化を極端に否定したのです。

明治4年(1871)には「散髪脱刀令」を発して、髷を落とし、帯刀の習慣をなくそうと試みています、また明治9年(1876)には「廃刀令」を公布して、軍人、警官以外の帯刀を全面禁止しました。

明治の後半まで「江戸の世が懐かしい」とでもいえば、危険思想の持ち主とされたのです、時代小説、時代劇が作られる頃は、明治生まれの人々の世になっていました。


時代がガラッと変わったとともに、前時代まで許されたことが禁止されました。これは大東亜戦争終戦のときも同じことが起きています。
軍人を目指していた時代、軍人に憧れた時代、終戦と共に誰も軍人を目指す人、憧れる人はいなくなりました。価値観が変容したのです。

庄司甚内は公許の遊郭設置が必要な理由を①家業を怠り浪費する者を、遊女は何日も泊める、②遊女の家は、浪人その他の不穏分子の溜まり場になる、③人身売買、誘拐など不埒な遊女稼業の者がいる。

地獄……「地女の極上」の略である、地女とは、遊女に対して素人の町屋の女の意味で、御家人の妻の身分を隠して、裏長屋を借りた「地獄宿」に通って「つゆ稼ぎ」をしたのだろう、地女の極上だから、それなりの値段がしたに違いない、家主の監視を潜っての地獄宿も、そうとう危険な商売であった。

女性の晴れ着は、基本的に畳みの上で艶やかに見えるようにデザインされていた、そのため室内ではひときわ生彩を放つので、インテリアになり得た。

江戸時代の人々の性感覚は、今日からは想像するのが難しい、男にとっては妻は子孫を残す相手であり、恋愛は遊女を相手にする遊びだった、江戸時代の中期後半までは、性は子孫繁栄と遊びに峻別されていたのである、妻への義理さえ立てば、妻は悋気(嫉妬)はしない、朝帰りと妾は男の甲斐性の時代である。

夜鷹(ヨタカ)……夜になると仮小屋を作ったり、川の土手や橋の下などで体を売った遊女、船饅頭……江戸は水路が巡らされた水の都市、船の中で売春をする女性のこと。


このあたりはもちろん、歴史の勉強では習いません(笑)  女性の着物がインテリア……当時の人たちの想像力は現代を超えるものがあったのだろうか。もちろんヌード写真、アダルトビデオ(DVD)などはありません。だからこそ、着物がインテリアになったわけですし、そんな時代だからこそ、売春が合法だったのか、妾が容認されていたのだろうか。

「生類憐れみの令」の意外な効果……人間も生類に含まれていて、「捨て子捨て病人」を禁止した、道中保護令も出て瀕死の旅人の救護も命じられたが、それまでは知らぬふりをされていた、「人や動物を殺す」「人や動物が死ぬ」ことを何とも思わない風潮を止めたのが「生類憐みの令」である。

尾張藩……「生類憐れみの令」の15年前には9歳の林徳之助が2歳年上の川口三平を斬り、自分は自害した、9歳と11歳の殺し合いである、翌年は14歳の少年が斬り合って、互いに絶命するまで戦っている。


現代もびっくりの少年犯罪です。江戸時代ももちろんあったわけです。……この時代は15歳で元服なんだから、成人の一歩手前なのか。成熟するのが早かったのか? う~む。
生類憐みの令については徳川綱吉が動物好きで、偏重しすぎた、としか習っていなかったので時代背景があるとは意外でした。

「秘事作法」によれば、御殿女中には、幼君の性器を鍛える任務があった。

この部分はもっと生々しい表現があったのですが、割愛させていただきました。幼い頃から男として鍛えられて15代260年続いたわけですね。

学問が道楽か実学か区別のつかないところが江戸の時代を支えた、ところが時代が下るほど、武士は道楽として学問を楽しむ人が少なくなる、出世のための学問の時代である。

学問とか学びというのはもともと人間の好奇心や知識欲を満たすものなんですよね。そう考えると、現代も受験のための学問、出世のための学問、ですよね。

同じ著者の書籍の書評
↓↓↓
「八月十五日」は終戦記念日ではなかった/古川愛哲

【編集後記】

本日は介護保険審査会は休会になりました。仕事が終わったあとはゆっくり休ませていただきます。


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著者 : 古川愛哲
講談社
発売日 : 2008-01-24
こんにちは。岡本大輔です。
昼の紹介はこちらです。
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小学館
発売日 : 2009-10










【出会い】
帯広図書館で出会いました。

【本書紹介のねらい】
アイヌの真実、沖縄集団自決の真実、北方領土について、無関心でいるあなたにオススメです。

【響いた抜粋と学び】
いわゆるA級戦犯―ゴー宣SPECIAL/小林よしのり
ゴーマニズム宣言SPECIAL 昭和天皇論/小林よしのり
おぼっちゃまくんのイメージが強い……お下劣でPTAから徹底的に嫌われた漫画から一転して歴史認識、天皇の知識を僕たちに漫画でわかりやすく教えてくれます。
現在の歴史の勉強は「日本史」であり「国史」ではありません。戦勝国が僕たちを洗脳するために作られた一面の歴史にしか過ぎないのです。
今回の書籍のタブーとして挙げられていたのは、

1.アイヌの問題
2.沖縄集団自決について
3.北方領土問題

となります。あなたになじみのあるものはありますか?

アイヌ系同士の夫婦は数%しかいないらしく、アイヌ系と「和人」(非アイヌ系)の結婚が90%超だというのだ。

アイヌ教育財政は非常に苦しく、アイヌ学校の教員は一般教員の2/3から3/4程の薄給だった、自動には文房具などを買えない貧しい者が多く、教師がその薄給から自腹を切ることもままあった。

アイヌの修学率が上がるにつれ、分離教育が差別教育と批判されるようになり、アイヌ学校は次第に普通学校と統合され、大正末にはほぼ全廃された、差別の解消と同化の達成は表裏一体だったのである。


アイヌは先住民族という意識は僕たち北海道、帯広の人間は強いんじゃないかと思います。小学校や中学校でも社会の時間にアイヌ文化について勉強していますし、長男、長女ともにアイヌのことを小学校で学んでいました。
英語を話す感覚でアイヌ語もしゃべってましたよ。

僕は仕事柄高齢の方と接することが多いので、アイヌの血をひく方ともお会いすることが多々あります。もちろん、僕たちと同じ言葉を喋り、同じ食事をとったり、と今では何も変わりませんが、やはり昔は虐げられていたようで、学校では和人と同じような教育はされなかったと聴きます。

このように僕の場合はアイヌ系の人とお会いすることがあったため、アイヌを意識することはあります。
今まで出会った人でも顔立ちを思い出して、
「そういえば、あの人はアイヌ系なのかな?」
なんて、思うことがありますよ。
アイヌ系……だから? という感じです。

もう少し年輩の方になると、
「あれはアイヌだわ」
なんて露骨に嫌な顔をする人がいましたね。

僕たちの世代くらいだと学校教育で
「”アイヌの人”と呼ぶように」と徹底されましたし、
アイヌへの差別、部落差別は絶対ダメと徹底的に教え込まれました。

北海道の歴史の区分は「日本史」とは異なる、日本史では、紀元前3~4世紀頃、縄文時代から弥生時代に移行する、しかし寒冷な北海道には稲作が定着せず、ついに弥生時代が来なかった、金属器のみが本州から伝わり、それ以降を北海道史では「続縄文時代」という。

旧石器人・縄文人の子孫に、樺太、千島、そして本州からやってきた人々が混交して形成されたのがアイヌであり、アイヌ文化とそれ以前の擦文文化をはっきりと峻別することはできないのである、古代から北海道は「人溜まり」の地であり、様々な民族が混交する場所だった。


アイヌが先住民族というのに異議申し立てをするのが小林さんです。僕たちが習った歴史では北海道は江戸時代にようやく松前藩ができて、開拓されつつあったように思いましたが、それ以前から北海道には多種多様な交友があったんですね。

赤松隊長は、戦後、「自決命令をした」という濡れ衣を黙って着た、「軍命令に従った」ということにすれば、島民に「遺族援護金」が支給されるからである、全国の空襲の被害者には一円も出ていない、原爆の被害者でさえ、厳しい審査を経て治療が受けられるだけである。

沖縄の集団自決の真実です。自決命令はなく、民間人のために敢えて
「自決命令をした」
と濡れ衣をおったんですね。なるほど。

北方領土は、当時有効だった日ソ中立条約を破って侵攻したソ連が不法に占拠した、島は拉致されたのだ、ソ連は、原爆まで投下されて、満身創痍の日本に宣戦布告、千島列島に上陸したのは日本がポツダム宣言受諾を表明した後の1945年8月18日、北方領土を占拠したのは戦艦ミズーリの調印式の後、9月5日だった。

北方領土については僕もここ2年くらいでようやく事実を知ったわけで、それまで
「4島返還」
と聴いても、
「なんで、いまさら?」
と思っていました。ごめんなさい。

この歴史的な事実を知れば
「4島返還」
は当たり前ですね。


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発売日 : 2009-10