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おはようございます。岡本大輔です。
本日の紹介はこちらです。
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著者 : 志茂田景樹
ベストセラーズ
発売日 : 2012-12-21










【出会い】
帯広図書館の新刊コーナーで出会いました。


【本書紹介のねらい】
~本書帯より~
自信がない、将来が不安、恋人と長続きしない、仕事がつまらない……人生の悩みに効く心の処方箋。不安を希望に変える30のメッセージ。

カゲキの檄文でちょっと元気になろう。


【気になった抜粋】
「本当の恋は内面にあるものに惹かれあうんだ。外見はいくらでも飾れる。他人が浮ついた日々を送っている間に、真剣にいい相手を求めあう人たちは自分を磨いているよ。内面で輝く。異質の輝きを放っている者同士が特に惹かれあう。それが”フェロモン”なんだ」。


【響いた抜粋と学び】
著者の志茂田さんはあの志茂田さんです。僕はタレントなのかとずっと思っていましたが、作家だったんですね。1976年、「やっとこ探偵」で小説現代新人賞を受賞。40歳のとき、「黄色い牙」で直木賞を受賞。その後もミステリー、歴史、エッセイなど多彩な作品を発表していきます。1998年から児童への絵本の読み聞かせ活動を行なっています。
2010年からはTwitterを開始しています。人生の苦楽を噛みしめる言葉の数々が共感を呼び、フォロワー数24万人を超えています(2012年12月1日現在)。

今の時代は大変だと思います、一昔も前から、「先が見えづらい世の中になった」という言葉をよく聞きます、今も先が見えづらい、いや、一昔前よりさらに見えづらくなっているかもしれません。

冒頭の言葉です。これはどこの時代と比較するかで変わりますね。僕はこれを読んだ時には大東亜戦争敗戦当時と比較すれば、衣食住が完備された現代はあまりに幸せすぎて、大変だ、なんて思いません。先が見えづらいというのはいつの時代もそんなに変わらないような気がしています。
だって、先が見えるときってどんなときだ? と思ってしまます。

僕は”努力して打開の道を開いて自信がつく”のではなく、”自信をつけるために努力をする”のだと考えています。

なるほど! とうなりました。自信を持つことが道を開くことの第一歩。そのためにまず努力してコツコツ積み上げていくことなんですね。

「暮らしを含めて何かをやるためにはお金がいる。そのためには働かねばならない」という義務感だけでは、働くことで得られる楽しさや喜びまで気が回らないかもしれません。

これはまったくそのとおりですね。今日食べるご飯のため”だけ”に働くというのはあまりに淋しいことです。

女性は優しい男性を求めます、「どういうのが優しい男性なの?」若い女性に聞くと「こっちの気持ちをわかってくれたり、先回りしてやってくれる人かな」そんなのヤクザのパシリにいくらでもいるよ、「いつも労ってくれる人」それじゃサービス業だ、「私の気持ちを柔らかく包み込んでくれる人です」僕が聞いた言葉の中では、この言葉が”優しさの本質”にいい線まで近づいていました。

ここを読んだときはちょっとクスッとなりました。

優しさ、ってなんでしょうかね? そもそもの”優しさ”って権力がある人や地位の高い人が下の人に対して、権力や地位を振りかざさないこと、というのがあった気がします。だから、優しさの本来は上の者が下の者に対して行うことであり、たとえば、子どもが親に対して何か手伝ってくれることは”優しさ”ではなくて”親切”という言葉が適当になるようです。

だから、この抜粋にあるように、優しさの定義を誤解しているとヤクザのパシリやサービス業がやるようなことを一般男性に求めてしまうんでしょうかね。

「希望を持って歩いていこうよ、目指していこうよ」とポジティブな行動をとるよう促しています、となると、希望は歩くための足元を照らす明かりと考えていいでしょう、そういう明かりであれば小さなもので充分だということになります、希望はでっかく持たないでいいのです、夢はでっかく描けばいい。

なるほど。希望と夢を分けて考えています。希望は暗闇の中で足元を照らしてくれる光です。だから小さいものでもいいのです。

別に世間や常識を敵視することはありませんが、それに縛られず夢に描いてきた何かに挑戦して、たとえ失敗しても世間と常識をよく理解していれば、”活きた失敗”になります。

これはそのとおりですね。行動しなければ、失敗しないんだけど、成功もできない。行動しなければ成長できないのです。挑戦し続け、失敗する中で、成功もしていくんでしょうね。


【編集後記】
世間では3連休ですが、今日、明日と喜んで働かせていただきます。


ここまでお読みいただきありがとうございます。

コメントは自由制です。一見さんも読者も大歓迎です。
返信は24時間以内にいたします。
※心無い非難・誹謗・中傷等は削除させていただきます。




著者 : 志茂田景樹
ベストセラーズ
発売日 : 2012-12-21
こんにちは。岡本大輔です。
昼の紹介はこちらです。
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PHP研究所
発売日 : 2013-03-17










【出会い】
帯広図書館の新刊コーナーで出会いました。以前から気になっていたタイトルでしたが……書評更新ペースに間に合わせられない、と思ってなかなか手に取れませんでした。
今回思い切って手に取りました。

【本書紹介のねらい】
~本書抜粋より~
いじめと自殺の因果関係を認めず、調査を打ち切った市教委の対応は社会問題となった、この事件の真相、そして悩ましき、いじめの構造に迫る。

単純にいじめはよくない、やめよう、というものではなく、そこから見える人間関係の難しさや当時者たちを取り巻く環境までも考えてみましょう。
※ 介護問題に通じるところがあるはず。

【気になった抜粋】
自殺の翌日、健次の祖父母が経営する銭湯を生徒の親が訪れ、告げた、「健次君はいじめ抜かれて死んでいったんやで。知らないのは被害者の親と加害者の親、そして学校の先生だけ」。

学校は不登校に陥っている三人を授業に戻すため、指導でいじめを認めさせ、反省を引き出す必要があった、個人差はあるものの、三人とも「ちょっとやりすぎたかも」という気持ちはあると感じていた、だが、親から「いじめ前提の指導は必要ない」「冤罪だったらどうするんや」と断られ、先に進めなくなった。

新しいPTA会長は毎朝、学校の校門に立って生徒に挨拶をする、何から始めていいのかわからないが、再生のためには行動するしかない、と考えた、生徒の様子に気づくためには、チャンネルが多ければ多いほどいいと思うからだ。

「私が若かったときは職員室は生徒の話で満ちあふれていた。担任していない子のこともよく知ってましたよ。でも、いまの先生は雑用に追われて、余裕がまったくない。生徒のことを話している実感でいえば、採用された当時と辞めるときとでは10対1」。

教員の世界には「困った子は困っている子」という言葉がある、手のかかる子どもは、悩みを抱えているという意味だ、同様に「困った親は困っている親」と考えることはできないだろうか、学校と保護者はパートナーであり、敵対することには、なんのメリットもない。


【響いた抜粋と学び】
今回の著者は”共同通信大阪社会部”です。ここは1945年に創立され、国内・海外のニュースを取材・編集して全国の新聞社や放送局、海外メディアに配信しています。地元大阪だけでなく近畿・中国・四国痴呆の広い範囲を各地の支局とともにカバーしています。

プロレスごっこ……ある教育学者は「低温やけどみたいに、慣れっこになっていくうちに、気がついたら深く細胞まで侵されていて、あとは一生治らない、というのと同じような現象だ」と指摘する。

これは僕の中学校でも似たようなことがありました。当時、僕は中学一年生。廊下で友人と歩いていたら、友人二人がいて、そのうちの一人が蹴られていました。
「痛いって!!」
と彼は痛がっていました。ちょうどそこに教頭先生が通って、
「何をしているんだ!?」
と聞かれたところ、蹴っていた友人は教頭先生に
「レスリングの練習をしているんです!」
とはっきりと答えていました。その回答に僕と友人は大笑いをしていました。

しかし、それから、蹴られていた友人は学校を休むようになったのです。僕は当時、レスリングの練習が不登校の原因だったとは思っていませんでしたし、今でもその証拠はありません。

ただ、この抜粋を読んだ時に、本当はあの友人は苦しんでいたんじゃないのか? ということです。

いじめている子どもに罪の意識なんてない、ということです、子どものときは、だれだってほかの子をからかって遊ぶことがあります、どんないじめをしていた子も『おもしろかった。遊びのつもりだった』と言います、それは子どもの本心だと思います、遊びだ、楽しいと思えば行為はエスカレートしていく、それがいじめの怖さです」。

これはそのとおりだと思います。本心で相手をいじめて困らせている、なんて思っていないと思います。

4歳の次男と一緒に遊びにいって思いますが、子どもは自分が、自分が! です。
※ もちろん、本心は大人もですが……。

「パパ、見て!!」
とすべりだいをすべり、ブランコに乗って、走り回る。すべて自分を見て欲しいわけです。それが子供です。
そんな子共が相手の心を分かってあげるなんて、高等技術を持てるなんて……普通に考えたらありえないわけです。だって、大人ですら、親ですら自分の子共の気持ちを汲み取るなんて難しいんですよ。赤の他人ができるのが当たり前なんてありえないでしょ。

楽しいか楽しくないか、が先にあって、相手の子がどう思うか、という理屈は繰り返し何度も伝えなければわからないのです。

「いじめを許さない学校」を掲げると、先生はだれも自分のクラスで起きていることを言い出せなくなる、「そんなばからしいことを言わないでもらいたい。いじめが仮に起きたとしても、先生のチームワークや生徒たちの力で、深刻化する前に止められる『いじめを包み込める学校』でありたい。

マザー・テレサも「戦争をなくすための会合」には絶対参加しなかったといいます。「どうすれば平和になるのか」という話し合いならば、参加したそうです。

戦争をなくす≠平和にする、ということです。一見すると同じような意味に思えるかもしれませんが、アプローチが変わります。

戦争をなくす、ということは武装解除する、という方法もあれば、敵対する相手を叩き潰す、というアプローチもあります。しかし、どうすれば平和になるのか? という考えからスタートすると、相手を叩き潰すというアプローチはなくなります。

我が家でも兄弟喧嘩があるときには
「どうすれば喧嘩をしないようにできるか」
ではなくて、
「どうすれば仲良くできるか?」
からスタートしています。

※ 「喧嘩をしないように」からスタートすると、相手が悪いんだから相手を黙らせればいい、相手をやっつければいい、というところまで発展する可能性があるからです。

「いじめをしない、させない、見逃さない、許さない学校」とも謳っていた、いじめが起きた際の迅速な対応につなげるための詳細なマニュアルもきちんと備えていた。

大津中にはこのような手順はしっかりあったのに、結局は机上の空論だったわけです。しかし、これは割ごとでもなんでもありません。どの業界でも、どの会社でも、これはありえることです。
マニュアルを完備するのは確かに必要ですが、それを実践する”人”がいてこそなんですね。
さらに言うと、その完備したマニュアルを使いこなせる状態なのかどうか、というのも重要ですね。

「おじいちゃんおばあちゃん本当にごめんなさい。どろぼうといっしょのことをしたのはわかっている。でも、俺にはわるい友達は一人もいない。それだけは、分かってほしい」。

これが自殺した少年の本心だったのかな、と思っています。最後まで友人を信じていたのだろうか?
それともか、
モラル・ハラスメント―人を傷つけずにはいられない のようにいじめっ子といじめられっ子は表裏一体の関係で切りたくても切れない関係だったのかな、なんていうことも思いました。

自分がいじめられている、と認められず、だとしたら、いじめている人のことも悪い人じゃない、と思っていたのかもしれない……。

色々な感情が交錯して胸が締め付けられそうでした。


もっともっと、気になった抜粋から書評を書きたいんですが、とりとめがなくなっていくので、このあたり閉じたいと思います。

ここまでお読みいただきありがとうございます。

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発売日 : 2013-03-17