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講談社
発売日 : 2012-05-18
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【出会い】
ブックオフ札幌南2条店で出会いました。
【本書紹介のねらい】
~Amazonより~
無敗の雀鬼、初公開のカラダ論
強い人は、美しくしなやかである。それはカラダまでも――
かつて棲んでいた「感覚の世界」を取り戻そう
桜井章一の流儀はこうだ!
変化に合わせて生きていけば動きは柔らかくなる/いい仕草は「流体のカラダ」から生まれる/「一口食べる」感覚で力を抜く/強い人は動作が見えない/耳で見ろ!/軸は取ったほうが勝つ/カラダが消しゴムになって、いい動きを消してしまう/底力を引き出すカラダの整理術<実践編>等々……
カラダが整えば心も整う。柔軟なカラダに強さが宿る。
<本書の内容>
第一章 技術を越えた“カラダづかい”
第二章 底力を引き出すカラダの整理術
第三章 本当に強いカラダとは何か?
第四章 きびしさがホンモノの動きを生む
第五章 “自然のカラダ”の秘密
生き方を見直したいあなたへ。
【響いた抜粋と学び】
著者の桜井さんは雀鬼会主宰。大学時代に麻雀に触れ、のめりこみます。昭和30年代後半、裏プロの世界で勝負師として瞬く間に頭角を現します。以来、二〇年間「代打ち」として超絶的な強さを誇り、「雀鬼」の異名をとります。その間、負けなしの無敗伝説をつくった。現役引退後、著者をモデルにした小説、劇画、映画などでその名を広く知られるようになります。現在、麻雀を通して人間力を鍛えることを目的とする「雀鬼会」を主宰し、全国から集まった若者を指導しています(執筆当時)。
僕はこの本が介護業界の、介護技術に大いに役立つと思って読んでいました。古武術の介護、だか詳しくは読んだことがありませんが、おそらく似ているんじゃないかな、と思います。
「力を抜く」ということは力が入っていない状態だが、これは何に対しても「~しよう」という思考の癖を持っている人にとっては難しい、だから、力を抜こうと思うのでなく、カラダの動きを流れにするという感覚を持ったほうがカラダは素直になるかもしれない、カラダが素直になる、正直になるということが、カラダのもっとも自然な状態なのである。
カラダを正直にすると、気持ちも正直になる、それが、みんな気持ちから入って「気持ちを正直にしいよう」とするから、嘘っぽくなるのだ、気持ちをいくら正直にしたつもりでも、カラダに対しては正直になれない、カラダはどこか力が入っている。
カラダというものは部分でなく、全体で考えるべきだ、部分だけに囚われてあれこれ努力したりするのではなく、全体のバランスの中でこの部分をどうしようという発想をしないといけない、そうしなければ、必ずおかしなことになるものだ。
指が開いていないと不自由に見えるが、軽く閉じたものが自由に力を操れるのである、だが、生活習慣などで指を開く癖がついていたりすると、相撲をとっている最中に微妙に開いてしまうことがあるのだろう、また指を開いてしまうことでカラダが硬くなってしまう。
膝が痛くなったり、腰痛になるのも、すべてはカラダが下に下がって負荷が膝や腰に強くかかるからだ、その意味でも、縦の動きをふだんからよくしている人は、歳を取ってもカラダ全体が下へ下がるスピードが遅くなるのである。
すごく奥深いなぁ、と思って読みいってました。70歳になる桜井さんは筋肉ムキムキではありませんが、カラダの使い方が抜群のために自分より体重が多い相手に突き飛ばしたり、プロのアスリートがカラダの使い方の極意を聞きにくるそうです。
本書の中にはカラダの抱え方なども書いてあったので、介護に応用できそうだなぁ、なんて思ってました。
※ ちなみに本書にはダイエット効果のある体操が入っています。その他、肩こりをとる体操、腰痛をとる体操が入っていますので、興味のある方はどうぞ(写真付きです)。
カラダを使った遊びのおもしろさ、人が成長するにつれ、言葉を増やし、知のほうへ行くに従ってそれは見えにくくなるが、本来は本能に根差した無条件の喜びを伴うものだ。
目線は地面と平行でなく、やや上にして遠くを見るようにするといい、立った状態で目線を下にするときと目線をやや上にするときを比べてほしい、目線がやや上を向いていると、気持ちが広がっていく感覚があるはずだ、カラダも流れだし、動きも軽くなる。
素直な人は癖が少ない、素直とは「素」になることである、背伸びも飾りもない自分の基本に戻ることである、人が素の状態でずっといることがもしできれば、癖はできない。
人は動物である、動物というのは動くから動物なのだ、働くという文字も「人が動く」と書く、常に動くことがすなわち生きるということである、変化という流れの中で生きていれば、当たり前のことだ、生身のカラダを持っている限り、人のカラダは絶えずどこかへ動こうとする本能的な意思を秘めている。
多動だとかADHDだとか、最近はよく言われますが、桜井さんから言わせればそれが本来のヒトなんですね。ヒト科のヒトは本来動物であり、動物ならば、動く。それが当たり前。
なのに、集中しろ、だとか、落ち着けだとか、無理難題を言うわけです。もし、あなたのお子様が椅子に座ってられないとしたら、それは極めて正常であり(生物学的に)、人間社会という生物学に反する中で適応できていないに過ぎないのでしょう。
※ 僕ももともと落ち着きのない子供で、集中力散漫です。今でもその傾向がありますね。
力が入ると何事も嘘っぽくなる、力まず、そっと触れるという感覚、力を入れる生き方から離れて、そっと触れる感覚を取り戻せば、どんなものごともスムーズに何かを成せることをカラダは素直に教えてくれる、幸せもつかみにいくのでなく、そっと触れる感覚を持てたときに、本当の幸せを感じるのかもしれない。
冒頭にあった言葉を最後に抜粋します。
欲望のままに力を込めて奪うのではなく、あくまで優しく。力を抜いて、触れる感覚なんですね。今日は仕事が休みだから、力を抜いて過ごしてみようかな。
【編集後記】
昨夜研修から帰ってきました。帯広はやっぱり雪が少ない、そして寒い! でもやっぱり自宅が一番なんですね。今日は妻が撮りためていた映画を見ようかな。
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発売日 : 2012-05-18
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