本日の紹介はこちらです。
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幻冬舎
発売日 : 2013-07-28
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【出会い】
子どもの用事で立ち寄ったTSUTAYA札内店でDVDと共に購入しました。最近のベストセラーのようですでに5刷です。
【本書紹介のねらい】
~本書表紙より~
世知辛い世の中を自分らしく生き抜くコツを提言。
ストレス社会と呼ばれる現代を楽に生きるためのちょっとしたコツを紹介しています。仕事に疲れたあなたや家庭での関係に疲れたあなたにオススメの一冊です。
内容としては著者の曽野さんがそれぞれのテーマについて思いを語っていく形式なので、人によって読みやすさが違うかもしれません。
先日、紹介した高濱コラム: 子どもたちを育てる目/高濱 正伸 の形式と同じです。
【気になった抜粋】
絆の基本は、家族が普段から心をかけ合うこと以外にない、もちろん友人も職場の人間関係も大切だが、親子兄弟の繋がりを断っておいて、今さら「絆が大切」もないものだ、と私は思う。
【響いた抜粋と学び】
著者の曽野さんは作家で1979年ローマ法王によりヴァチカン有功十字勲章を受章、2003年に文化功労者、1995年から2005年まで日本財団会長を務めていました。1972年にNGO活動「海外邦人宣教者活動援助後援会」(通称JOMAS)を始め、2012年代表を退任しています。
本書タイトルにある”成熟”、人間としての”成熟”を考えていくのがねらいですが、それ以外の話題も豊富です。
※ どちらかというと、その他の話題に興味がそそりました。
最近のように、子供たちにテレビつきの一部屋を与えなければいけないなどという贅沢は考えもしないし、、人間はそもそもは大部屋で雑居する暮らしが原型だったのだ。
僕が子供のときには自分の部屋はありましたし、ゲーム用ではありましたが16インチくらいのテレビはありました。考えてみれば贅沢なもんですよね。
僕の部屋は確か8疊以上あった気がします。
現代はそれにプラスして携帯電話を持っているんですか? 社会全体が成熟していくと、高齢者や子供などまでもが一人部屋、個人のケータイを持つようになる、ということでしょうか。
※ もちろん、必要な人はいるでしょうが……。
皆が手さぐりでやって来て、それぞれの家庭で年寄りの最期を見送ったのである、介護というものは、そういうものだ、つまり食事と排泄と体をきれいにすることが実務だが、そのほかに大切なことは、病人や老人を楽しくすることだったはずだ。
ここは介護問題について言及しているところです。僕は50年以上前、家庭でどのような介護がされたのか実際のところよくわかりません。大家族だったため、子育てや介護はそれぞれの「家」である程度やってこれたのかな、とも思います。
現代のように核家族が主流のところでは「家」だけではほぼ不可能と思います。
デイサービスで働いていても思うのですが、食事・入浴・排泄の介護というのは基本であり、当たり前にやること、それと同時に「楽しい」というのは求めていきたいところですね。
人間の幸福の形というものには定型がない、なぜなら、最期に大切なのは、心の問題だからだ、心の中の幸福の量と質は、厚生労働省もその供給の目安を文書では示せない。
通所介護計画書や居宅サービス計画書などの目標の部分に「楽しむ」と書かれているとデイサービスを利用しての結果どうだったかのときに、どれくらい楽しんだのか、表現が難しいです。
笑顔が多かっただとか、他利用者様と会話を楽しんでいた、だとか。
数値化するとどうやるのかな。利用中ほとんどの時間で笑顔が見られる、という書き方のなのかな。
最近、私の周囲を見回すと、実にもらうことに平気な人が多くなった、「もらえば得じゃない」とか、「もらわなきゃ損よ」とか、そういう言葉をよく聞くようになったのである、「介護もどんどん受けたらいいじゃないの。介護保険料を払ってるんだから、もらわなきゃ損よ」とはっきり言う。
これはホントいかんなぁと思いますね。セーフティネットは万が一のときのためであって、”受けなきゃ損”ではないですね。海外に目を向ければ、8割以上が国の制度で保障されていないのが現状であって、日本では万が一の時のために法が整備されている、その整備料を保険料として払っている、それで安心して生活できる、ということなんだと思います。
人生には安心して暮らせることなどないことは……何度も書いているのだが……東日本大震災とそれに続く原発事故の結果が如実に示した、いい年をして、そんな甘い夢を見ることはやめた方がいいのだ、人生は、常に問題が続いていて当たり前だし、不足に思うことがあって当然なのだ。
このあとに、不足に思うことに感謝しよう、という流れが書かれていました。実際のところ、どんなに法を整備しても絶対的な”安心・安全”は存在しないことが先の震災、原発事故で証明されたようにも思います。
国が保障してくれるというのはすごいことです。戦時中、戦後はほとんどのことで保障なんてできませんでしたし、それが当たり前でした。
人間にとって大切な一つの知恵は、諦めることでもあるのだ、諦めがつけば、人の心にはしばしば思いもしなかった平安が訪れる、しかし現代は、諦めることを道徳的にも許さないおかしな時代になった、いつどの時点で、どういうきっかけで諦めていいのか、そのルールはない、その人の心が、その人に語りかける理由しかない。
諦めることは否定的に捉えられがちですね。別の書籍では諦め=明らめ、としており、明らかにすること、とされていました。やらないことを明らかにする、という意味合いでしたね。
なんでもやってみて、ダメだったら、自分には合わないことが明らかになる、という感覚でいいのかな、と思いますが……。
人間何をしたって自由なのよ、したいようにすればいいのよ、という発想は実は根本的にまちがいなのだと大人たちは言わなくなったのだ、それは自由のはきちがえ、もっとはっきり言えば、教養のなさ、人間失格の条件なのだが、いつのまにかずるずるとその程度のことは、「今の時代仕方ない」という形で、市民生活の間に浸透してきた。
なにをやっても自由でしょ、という言い方だけですと、”人間”というよりかもっと動物的な”ヒト科のヒト”という印象を受けてしまいます。
人の間にいるのが人間、つまり社会の中に生きているのが”人間”、そうであるならば、抜粋にあるような何をしても自由、したいようにすればいい、というのはまちがいだと言えます。
でも、それを指摘する人も少なくなったように思います。
成熟ということは、傷のない人格になることでもない、そういう人もいるだろうが、やはり熟すことによる芳香を指す言葉のように思う、或る人の背後にあるその人間を育てる時間の質が大切だ。
本書タイトルにある”成熟”についてです。抜粋したときは
「おっ!」
と思ったのですが、改めて読んでみると、なんのこっちゃ? と僕は感じています。
そうだ、大切なことは、お茶をいれて、すべての些細な対立は、強靭な大人の心で流してもしまえるかどうかなのだ。
最後の部分です。受け止めること、受け流すこと、これらができることが人間としての”成熟”の一つということかな。
【編集後記】
本日は経営者モーニングセミナーに出席予定です。喜んで学びます。
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