増補改訂 暮らしのなかの妖怪たち/岩井 宏實 | ブログ

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おはようございます。岡本大輔です。
本日の紹介はこちらです。
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著者 : 岩井宏實
慶友社
発売日 : 2012-10-20









【出会い】
帯広図書館の新刊コーナーで出会いました。


【本書紹介のねらい】
~本書抜粋より~
妖怪とは何ぞや、妖怪と人間はどう関りをもったのかと思いを巡らせて、その一端を『暮らしの中の妖怪たち』として、平成二年に刊行された、それから二十余年、今、また不景気を実感させられるような世情となり、妖怪が世の関心を得るようになったので、ここにまた前著を増補改訂して版を新たなにして出版する機会に恵まれた。

古来、日本で僕たち人間の身近に存在した(と思われた?)妖怪はいったい僕たちに何を教えてくれるのか? 考えてみましょう。


【気になった抜粋】

わが国には古くから捨て子の習俗がある、これは庶民だけでなく、徳川将軍家においても行われていたことが「徳川実紀」などに記されている、「四十二の二つ子」といって、父親の四十二歳に子供が二歳になることが忌まわれ、また子供が産まれても早死にすることも忌まわれた、そうしたとき、その忌まわれる家の子ではなく、寿福の家の子、長寿筋の家の子とするため、産まれた子供を道端に捨て、あらかじめ拾ってくれる長寿筋の人を頼んでおいて、その人に拾ってもらう、拾った人は新しい産着を着せて、こんな良い子を拾いましたと抱いてきてくれるのである。

家代々の古い道具ということになると、古い霊がこもっているという考えが生じてくる、ところがこうして再生・補強されない霊があり、また新しい道具が生まれてきて、使われないようになると、古い道具がおろそかにされる、ときには捨て去られてしまう、そうした道具の霊が人間に自己の存在を訴え、あるいは怒り、祟ろうとする。


【響いた抜粋と学び】
妖怪……定番で言えば「ゲゲゲの鬼太郎」でしょう。似たようなところでは「悪魔くん」もそうかな。小学生のとき、土曜の19時から再放送がやっていた気がする。
さらに言えば、「地獄先生ぬ~べ~」でも妖怪を学んだ記憶があります。
※ ぬ~べ~は途中からキワドイのが多くなった記憶があります。

子供の頃、妖怪のことを楽しんでいたのに、大人になって、非現実的、と見向きもしなくなりました。改めて妖怪について学びます。

著者の岩井さんは日本の民俗学者であり、国立歴史民族博物館・帝撞か山大学名誉教授で大分県立歴史博物館顧問、という肩書きを持ちます。


この手の話は得意なんでしょう。

妖怪は本来神であったが、長い年月の間に人間に祀られなくなった神、すなわち零落した神で、山・海・川、里や家屋敷などだいたい棲む場所がきまっていて、そのなかでもとくに聖なる神や零落した神たる妖怪の居場所たる他界で、人間が接触する場所に現れる、それに対して幽霊は死んだ人の霊、すなわち死霊でそれも死後供養をしてくれる人がいなくなって、淋しさや悲しさをもった霊や、この世に怨みをもった霊で、生前の姿や死に望んだときの姿となってこの世に現れる。

そもそも、妖怪って何か? 幽霊とは違うのか? という疑問に答えます。妖怪は元々神であり、幽霊は人間だということです。

妖怪とは、人知で不思議と考えられるような現象または異様な物体をいい、一般には「おばけ」「化け物」などの言葉でよばれているもので、人間に畏怖の念を抱かせるものである。

共同幻想・共同幻覚・共同幻聴することによって、妖怪そのものが生活のなかにイメージされ、その妖怪が人間と交渉をもつことになるのである。


別の表現をすると、妖怪とは不思議な現象や異様な物体のことを言うようです。

妖怪としてもっとも活躍したのは鬼と天狗で、この両者はなんといっても妖怪の両横綱である、この両者がわが国で人々の眼前に現れるのは、奈良時代を少しさかのぼったころである。

代表的な妖怪は鬼と天狗です。昔話の中でも、桃太郎を筆頭に鬼は出てきますね。一方、天狗は? というと僕はあまり思い出せないのですが、「百姓じいさんとテング」という昔話があるようです。

そして、二人の(?)生誕は奈良時代まで遡るようです。歴史があるなぁ。

言葉でも
「鬼に金棒」「鬼の目にも涙」「天狗になる」
なんてあるように僕たちの身近に存在していたようですね。

河童ほど人びとに親しまれ、もてはやされている妖怪はない、女児の断髪を「お河童」といい、泳ぎ上手の人を「河童」という、少しも気にかけないこと、平気なことを「屁の河童」という、お寿司のなかにも「河童巻き」というのがある、あれやこれや日常生活のなかで「河童」という言葉はよく使われている。座敷童子の由来について、遠野地方などで、家の庭・和泉や村の川・淵から出現した童子というところからも、またオカッパ頭の童子ということからも、河童または水界の小児と関係があるとも考えられている。

さらに、鬼と天狗に負けないくらい人気があった(?)のは河童です。今日で8月なので、お盆時期に川で泳ぐと水の中から引っ張られるなんて話もよく聴きますね。
河童に引っ張られるなんてこともよく聴きました。

猫の化けるのを防ぐ手段としては、子猫のうちに尻尾を切って、根元だけをわずかに残しておくとよいという、尻尾の二本に裂けたいわゆる猫股はよく化けるので、尻尾を切るのも猫股にならないようにするためという。

ぬ~べ~を読んでいて、猫は化ける、というのがあった記憶があります。九尾の猫だった気がします。犬は化けると聴きませんが、猫は化け猫なんて言葉もありますし、古来からそう考えられていたんでしょうね。

昔、自分の産んだ子供だけを愛し、先妻の子供にご飯を与えない母親がいた、そのため、とうとう先妻の子は飢え死にしてしまった、死んで四十九日目のこと、父親が薪を割っていたとき、誤ってこの母親の頭に傷をつけてしまった、その後、傷は少しもよくならず、やがて唇の形になり、歯が生え、舌ができ、ひどく痛んだ、そこに食べ物を入れると痛みがやわらぐので、毎日御飯を入れると、その口から「自分の意地悪から先妻の子供を殺してしまった」という声が聞こえてきた、そうしたことから、この女を「二口女」と呼んだという。

二口女は妖怪なのか? 妖怪だとすると、最初の抜粋で出したように、人間ではなくて神になるのかな? ここは僕の疑問になりました。

【編集後記】

平成25年も8月に入りました。今月は花火大会があります。これが終わると、気持ちの中で「秋」になります。すると、一気に冬になり、一年が終わるイメージです。改めて悔いの残らぬよう全力投球です。



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著者 : 岩井宏實
慶友社
発売日 : 2012-10-20