LESS IS MORE 自由に生きるために幸せについて考えてみた/本田直之 | ブログ

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おはようございます。岡本大輔です。
本日の紹介はこちらです。
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【出会い】
”レバレッジ”、”ノマド”がキーワードの本田直之さんの新刊が帯広図書館の本棚にあったので迷わず借りました。


【本書のテーマ】
人間の幸せの根っこ・・・シンプルライフのすすめ。


【岡本大輔の視点】
バブル時代の幻想をぶっ飛ばせ!

【気になった抜粋】

シンプルに暮らしたいと思うのであれば、真剣に自分の生活や人生を考えなければなりません、しかもそれを、「自分の意志」で選んでいくことが重要です。

物質市場主義とは、言い換えるならば、車や家をはじめモノや場所など、さまざまなあ制約に縛られて生きることでもあります。

モノを買うことは短期的な欲求を満たすこと、その反対に経験や体験はもっと短期的な視点で得られる利益なのです。

現代の日本には、瞬間の欲求を満たす選択肢があまりにもたくさんありすぎる。

北欧の人たちに取材をしてみて感じたのは、「衣食住」の中で「衣」と「食」のニーズが異常に低く、「住」が高いことでした。

なにより重要なのは「自分で選ぶ」ということ。

「常識を疑って、常識に従わない人になれ」とか、たんに「反発しろ」と言うのではありません、自分の判断基準と価値観を持って判断することです。

ポジティブな選択としていろいろなものを削っていくことが、これからのダウンシフトです。

【響いた抜粋と学び】

自由を与えられるということは、自己管理をしなければならなくなったということでもあります。

我が家でも子供たち1人1人に子供部屋を作るかどうか、子供部屋にテレビを設置するかどうか、という議題があがりました。


僕の意見は(強硬的でしたが)「子供に自由はない。なぜなら、子供に責任はとれない。権利を主張するのなら最低限の責任を果たせるようになってから」と伝えました。


子供に自由や権利を与えることは、親にとってものすごい試練だと僕は考えます。


与えている家庭に対して僕は何一つ文句はありません。ただ、我が家では自由や権利は一旦お預け・・・”自由貯金”をしている状態です。


20歳になり、仕事をして自分で家を借りるなどして、自分の責任を負えるようになったとき、遊びにいって帰る時間を自由に決めて、テレビを自由に見ればいいと伝えています。


それまでの間は制限されているのではなくて、自由を今は貯金してるのだと解釈しています。


子供たちにとっては、周りの友達から比べると制約された中で生活していると感じているかもしれません。


親の判断としては、僕は間違ったことをしていないと確信しています。


自己管理や自分の行動に責任を負えない状態で、自由や権利を与えても、それは単なる”好き勝手”にしかならないのです。


格差社会だとか、今の若者は不幸だとか騒いでいるのは、上の世代だけ、時代に合わせて人々の価値観が変わっていくように、幸せの形もまた変わっているのです。

バブルを経験したお客様達からは抜粋のように「今の若い人たちはかわいそうだね」とよく言われます。


その場は「(お客様はそう感じるのですねという意味で)そうですね」と返します。


僕自身はバブルを経験しなくてよかったと感じています。それは、お客様たちはことあるごとに話します。「あの頃はよかった」と。


高齢になり、身体が動かなくなり、病気も増えてきた状態ですので、もちろん過去を懐かしむことは僕ら若い世代に比べれば増えるでしょう。


僕は「あの頃はよかった」というお客様を否定しません。


僕達はこれから「あの頃はよかった」と思える時代を創りあげることができるとワクワク出来るのです。


バブルの幻想に踊らされなくてもいいのが、僕達の世代の強みでもあります。


お金がなくても、工夫次第ではもっと面白いことができるはずだし、もっと楽しい人生が送れるはず。


ユダヤ5000年の定理ではまず住む家を建てること、それから仕事をつくり、妻を迎えるとあります。


現代日本では家を建てずに簡単に借りることができます。それだけ、現代日本は成熟されたのです。


江戸時代を考えてみれば、武士の生まれでないものが真冬でもストーブをつけて暖かい部屋にいることができるなんてありえなかったわけです。


お金がなくて、自分は不幸と考える前に、「お金がない」と思う中で今現在の生活ができていることに感謝してみてはいかがでしょうか?



ここまでお読みいただきありがとうございます。

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